1,3-ブタジエンとエチレンを加熱すると、シクロヘキセンができます。反応機構を書こうとすると、3本の巻き矢印を環の周りにぐるりと回すだけで済み、カルボカチオンもカルボアニオンも出てきません。こうした反応は長いあいだ「機構のない反応」とも呼ばれ、なぜ加熱と光照射とで生成物の立体化学が逆になるのかも説明できませんでした。
この記事では、この一群の反応(ペリ環状反応)を、付加環化・シグマトロピー転位・電子環状反応の3種類に分けて見ていきます。それぞれについて、フロンティア軌道論と、ウッドワードとホフマンが1965年に示した軌道の対称性の規則(Woodward–Hoffmann則)の2つの見方で、「なぜその反応が起こり、なぜその立体化学になるのか」を説明します。個々の反応の応用(位置選択性やendo選択性など)には深入りしません。
この記事は長めです。まず1節で3種類の見分け方と、共役系の分子軌道の形を押さえてください。2〜4節はどれも「反応の形 → フロンティア軌道 → Woodward–Hoffmann則」の順に並べてあり、5節で3つの反応を1つの表にまとめます。
これまでの記事で扱ってきた有機反応は、そのほとんどがイオン反応でした。求核剤が電子対を差し出し、求電子剤が受け取る反応です。SN1反応のカルボカチオンや、アルケンへの求電子付加のブロモニウムイオンのように、途中に電荷を持つ中間体を経るものが多くあります。SN2反応のように中間体を経ないものもありますが、遷移状態で電荷が大きく偏る点は共通しています。
数は少ないものの、電子が1個ずつ動くラジカル反応もあります(過酸化物存在下のHBr付加など)。ペリ環状反応は、このどちらとも違う第三の型です。
| イオン反応 | ラジカル反応 | ペリ環状反応 | |
|---|---|---|---|
| 電子の動き | 電子対が一方向へ | 電子が1個ずつ | 電子対が環状に並んだ原子の上で一斉に組み替わる |
| 中間体 | カルボカチオンなど(ないものもある) | ラジカル | なし(1つの遷移状態を通る) |
| 電荷の偏り | 大きい | 小さい | 典型的には小さい |
| 進み方を決めるもの | 電荷・溶媒・脱離基など | ラジカルの安定性 | 加熱か光か、関わる電子の数、軌道の位相 |
IUPACの定義では、ペリ環状反応は環状に連なった原子の上で、結合の組み替えが協奏的に(一段階で)起こる反応とされ、完全に共役した環状の遷移状態を通る反応とみなせる、と説明されています1。環を構成する原子は6個のことが多いものの、ほかの数もありえます。付加環化・電子環状反応・シグマトロピー転位・キレトロピー反応などを含みますが、いずれも協奏的に進む場合に限ります。
「電子が環の周りを回る」というのは、巻き矢印で書いたときの見え方です。実際には、環の上のすべての結合が1つの遷移状態の中で同時に組み替わるだけで、電子が順番に移動していくわけではありません。そのため、ペリ環状反応の巻き矢印は、環の中で向きがそろっていれば時計回りに書いても反時計回りに書いても同じ意味になります。
ペリ環状反応の3種類は、環状に並んだ原子の中で、σ結合が差し引き何本増えるか(Δσ)を数えると見分けやすくなります。
| 反応 | 何と何がつながるか | 代表例での数え方 | Δσ |
|---|---|---|---|
| 付加環化 | 2つのπ系が、両端で2本の結合をつくる | ディールス・アルダー反応:π3本 → π1本+σ2本 | +2 |
| 電子環状反応 | 1つの共役系の両端がつながる | ブタジエン → シクロブテン:π2本 → π1本+σ1本 | +1 |
| シグマトロピー転位 | σ結合が1本切れ、別の場所に1本できる | クライゼン転位:σが1本切れて1本でき、πは位置が移るだけ | 0 |
シグマトロピー転位のΔσ=0は、IUPACの定義そのものに「π結合とσ結合の総数は変わらない」と書かれています1。付加環化と電子環状反応の逆反応(付加環化の逆向きの反応と開環)は同じ遷移状態を通るので、Δσはそれぞれ−2、−1になります。
この数え方は、定義から導ける整理の目安であって、IUPACが定めた分類の基準ではありません。Δσだけでは種類が1つに決まらないことにも注意してください。二酸化硫黄SO2が1,3-ブタジエンに付くキレトロピー反応はΔσ=+2で付加環化と同じになり、2本の新しい結合が同じ1つの原子(ここでは硫黄)にできる点で区別されます。2-3で触れるエン反応はΔσ=+1で電子環状反応と同じですが、2分子のあいだで起こります。表の2列目(何と何がつながるか)と合わせて見るのが確実です。
ペリ環状反応の説明には、二重結合が連なった共役系のπ分子軌道の形が欠かせません。フロンティア軌道論の記事で見たとおり、n個の原子軌道からはn本の分子軌道ができます。sp2炭素がn個並んだ共役系では、n個のp軌道からn本のπ分子軌道ができます。
図1から読み取ってほしい規則は3つです。
第一に、エネルギーが上がるほど節が1つずつ増えます。いちばん下のψ1には節がなく、すべてのp軌道が同じ位相でつながっています。k番目の軌道ψkには、節がk−1個あります。
第二に、電子はいちばん下から2個ずつ詰まるので、エチレンはψ1、ブタジエンはψ2、ヘキサトリエンはψ3がHOMOになります。
第三に、ペリ環状反応でいちばん大事な情報は、その軌道の両端のp軌道が同じ位相か、逆の位相かです。両端の位相は、ψ1で同じ、ψ2で逆、ψ3で同じ……と交互に入れ替わります。たとえばブタジエンのHOMO(ψ2)は両端が逆位相、LUMO(ψ3)は両端が同位相です。
炭素が奇数個の共役系(アリル基は3個、ペンタジエニル基は5個)では、真ん中の軌道が、もとのp軌道と同じ高さの非結合性軌道になり、係数が0の炭素に節が通ります。中性のラジカルでは、この軌道に電子が1個だけ入ります(SOMO、半占軌道)。3節でこの軌道を使います。アリル系の非結合性軌道と、カチオン・ラジカル・アニオンの電子の詰め方は共役と非局在化の記事で詳しく扱っています。なお、ベンゼンのように環になった共役系の軌道は芳香族性の記事で扱いました。
付加環化は、2つのπ系が両端で新しいσ結合を2本つくり、環ができる反応です。代表例がディールス・アルダー反応で、1,3-ジエンとアルケン(ジエノフィル)から六員環ができます。π結合3本のうち2本が2本のσ結合に置き換わり、残る1本は位置を移して新しい環の中に残ります。
ジエンは2つの二重結合が同じ側を向いたs-cis形でなければ、両端がジエノフィルに届きません。途中に中間体はなく、反応は1つの遷移状態を通って一段階で進みます。
この反応は、1928年にディールスとアルダーが、シクロペンタジエンと無水マレイン酸の反応などとして報告しました2(2人は1950年にノーベル化学賞を受賞)。1930年代末にはEvansらが、この遷移状態では6個の電子がベンゼンと同じように環状に非局在化していると考え、π電子が動きやすいほど活性化エネルギーが下がると論じました3,4。この「芳香族的な遷移状態」という見方は、5節で再び取り上げます。
名前に付く数字にも注意が必要です。IUPACは、付加環化を角かっこ[ ]で書くときは各成分が反応に使う電子の数を並べる、と定めています1。ディールス・アルダー反応はジエンの4電子とアルケンの2電子なので[4+2]付加環化です。一方、丸かっこ( )で書いた場合は各成分が提供する原子の数を表します。オゾンとアルケンの最初の反応は、原子で数えると(3+2)、電子で数えると[4+2]になります。
2分子が反応するとき、一方のHOMOから他方のLUMOへ電子が流れ込むように軌道が重なると大きく安定化する——これがフロンティア軌道論の考え方でした。付加環化では、さらに両端で同時に2本の結合をつくれるかが問われます。そのためには、両端の重なりがどちらも同じ位相どうし(結合性)でなければなりません5。
左の[4+2]では、ブタジエンのHOMO(ψ2、両端が逆位相)とエチレンのLUMO(π*、両端が逆位相)が、両端とも同じ位相で向き合います。2本の結合が同時にでき、しかもジエンとアルケンの同じ面どうしで結合できます。エチレンのHOMO(π)とブタジエンのLUMO(ψ3)の組み合わせで見ても、両端はやはり同位相になります。
右の[2+2](エチレン2分子)では、HOMO(π、両端が同位相)とLUMO(π*、両端が逆位相)の対称性が合わず、一方の端がどうしても逆位相になります。同じ面どうしで2本の結合を同時につくることはできません。アルケン同士の[2+2]付加環化が加熱では進まない理由です。
ところが光を当てると事情が変わります。光でエチレンの1個の電子がπ*に上がると、そのπ*(両端が逆位相)が新しくHOMOの役を果たし、相手のLUMO(π*)と両端で位相が合います。実際、[2+2]付加環化は光反応としてよく知られています。加熱で禁じられた反応が光で許されるという逆転は、ペリ環状反応に共通する特徴です。
同じ面どうしで結合ができることは、生成物の立体化学にも現れます。ジエノフィルの2つの置換基がcisなら生成物の環の上でもcis、transならtransのまま残ります。出発物質の立体によって生成物の立体が決まる、立体特異的な反応です。
ホフマンとウッドワードは1965年、付加環化を別の角度から分析しました6。フロンティア軌道論が「HOMOとLUMOの2本」だけを見るのに対し、こちらは反応物と生成物のすべての分子軌道を、反応のあいだ保たれる対称性で分類してつなぐ方法です(軌道相関図)。この方法は、同じ年に電子環状反応についてLonguet-HigginsとAbrahamsonも用いています7。
手順は次のとおりです。
①反応の途中ずっと保たれる対称要素を1つ選びます。ここでは、ジエンとジエノフィルの両方を真ん中で左右に分ける鏡映面を使います。②反応物と生成物の分子軌道を、この面に対して対称(S)か反対称(A)かで分類します。③Sどうし、Aどうしを、エネルギーの低い順に線で結びます。同じ記号どうしの線は交差させません。④反応物で電子が入っている軌道が、生成物でも結合性の軌道につながっていれば「対称許容」、反結合性の軌道につながってしまえば「対称禁制」です。
[4+2]では、電子の入った3本(ψ1、π、ψ2)がすべて生成物の結合性の軌道へつながります。反応の途中で電子を高い軌道へ押し上げる必要がないので、加熱だけで進めます。
[2+2]では、電子の入った「π−π」が生成物の反結合性軌道「σ*+σ*」へつながってしまいます。このまま反応を進めると、電子2個が反結合性軌道に入った高い状態を通ることになり、大きなエネルギーの山ができます。これが「対称禁制」の意味です。
Woodward–Hoffmann則は「複雑」と言われがちですが、難しいのは主に軌道相関図を描く作業です。考え方そのものは「電子の入った軌道が、反応の最後まで結合性のままでいられるか」の一点です。3-3で、相関図を描かずに同じ結論を出せる成分の数え方を紹介します。
「禁制」は「絶対に起こらない」という意味ではありません。協奏的な経路の障壁が高いというだけで、ラジカルや双性イオンの中間体を経る別の段階的な経路が低ければ、反応はそちらを通って進むことがあります。Houkらは2024年の論文で、4節で扱う電子環状反応について、電子供与基と電子求引基で強く分極させた系では、形式的には禁制の反応に双性イオン性をもつ低い経路が生じることを計算で示しています7。
| 反応 | 電子の数 | 条件 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 1,3-双極付加環化 | [4+2] | 加熱 | 3原子に4電子をもつ1,3-双極子(オゾン、アジド、ニトロンなど)がアルケン・アルキンに付き、五員環ができる。原子で数えると(3+2) |
| 光[2+2]付加環化 | [2+2] | 光 | アルケン2分子からシクロブタンができる。2-1のとおり光でのみ許容 |
| 熱[2+2]付加環化 | [2+2] | 加熱 | ふつうのアルケン同士では進まない。例外としてケテンの反応が知られる |
| エン反応(アルダー・エン反応) | 6電子 | 加熱 | アリル位に水素をもつアルケンが、π結合をもつ相手に付き、水素が移る。環はできない |
1,3-双極付加環化は、1960年代にHuisgenが一般的な反応の型としてまとめました8。当初は段階的に進むという説もありましたが、現在では大部分が協奏的な付加環化と考えられています。ただし極端な置換基の組み合わせでは、中間体を経る場合もあると整理されています9。オゾンとアルケンの1,3-双極付加環化から始まるオゾン分解は、アルケンの酸化反応の記事で扱っています。
エン反応は、関わる電子の数(6個)と環状の遷移状態がディールス・アルダー反応とよく似ています。ただし新しい環ができないため、付加環化とは別に「グループ移動反応」として分類されるのが普通です。1-1の数え方ではΔσ=+1になります。
シグマトロピー転位は、π系に隣接したσ結合が1本切れ、別の位置に新しいσ結合が1本できる分子内の反応です1。巻き矢印が環状に回る点は付加環化と同じですが、矢印の1本はσ結合から出発します。
代表例がクライゼン転位です。アリルビニルエーテルを加熱すると、酸素とアリル基の炭素の結合が切れ、ビニル基の末端とアリル基の末端のあいだに新しい炭素–炭素結合ができて、γ,δ-不飽和カルボニル化合物に変わります。クライゼンが1912年に報告したのは、アセト酢酸エステルのO-アリル体やアリルフェニルエーテルがC-アリル体へ変わる転位で10、現在はこの型の転位全体をクライゼン転位と呼んでいます。
クライゼン転位は、クライゼン縮合とはまったく別の反応です。どちらも同じクライゼン(Ludwig Claisen)の名を冠していますが、縮合はエノラートがエステルを攻撃するイオン反応、転位はここで扱うペリ環状反応です。
シグマトロピー転位の遷移状態は、切れかけのσ結合とできかけのσ結合の2本でつながった、2つの断片とみなせます。IUPACの定義では、2つの断片に含まれる原子の数をi、jとして、[i,j]シグマトロピー転位と呼びます1。実際には、図5の下段のように、切れる結合の両端を1と1′とし、新しい結合ができる原子の番号を読めば求まります。
クライゼン転位では、O(1)–C(2)=C(3)と、C(1′)–C(2′)=C(3′)の2つの断片がそれぞれ3原子なので[3,3]です。すべて炭素でできた1,5-ヘキサジエンの同じ型の転位はコープ転位と呼ばれ、これも[3,3]です。水素が炭素鎖の端から端へ移る反応では、水素の断片は1原子なので、たとえば[1,5]水素移動([1,5]-Hシフト)のようになります。
同じ角かっこでも、数えているものが違います。 付加環化の[4+2]は各成分の電子の数、シグマトロピー転位の[3,3]は各断片の原子の数です。IUPACの定義にも、この違いがわざわざ注記されています1。
シグマトロピー転位は1分子の反応なので、「一方の分子のHOMOと他方の分子のLUMO」という組み合わせがそのままでは作れません。そこで、切れる結合で分子を2つのラジカルの断片に分けて考えます。それぞれの断片には電子が1個だけ入った軌道(SOMO)があり、福井は、SOMOがHOMOの役とLUMOの役を兼ねると述べています5。見るべきことは付加環化と同じで、2つのSOMOが、切れる側の端と、できる側の端の両方で同じ位相で重なれるかです。
[1,5]水素移動では、ペンタジエニル基のSOMOの両端が同じ位相なので、水素は炭素鎖の同じ面を滑るように移れます。一方、[1,3]水素移動では、アリル基のSOMOの両端が逆位相で、同じ面では移れません。反対の面に回り込めば位相は合いますが、3原子しか離れていない鎖の上で水素が裏側へ回ることは幾何学的に無理があります。そのため、熱で進む水素のシグマトロピー移動としては[1,5]が代表的で、[1,3]は協奏的には起こりにくいと予想されます11。
[3,3]転位では、2つのアリル断片のSOMO(どちらもψ2)が、切れる側(1と1′)でも、できる側(3と3′)でも同じ位相で重なります。クライゼン転位やコープ転位が加熱だけで進むのはこのためです。
軌道相関図は、分子が対称要素をもつときにしか描けません。ウッドワードとホフマンは1969年の総説で、相関図の結論を「成分」を数えるだけの一般則にまとめました12。
まず反応を、巻き矢印1本ごとの「成分」に分けます。二重結合なら2電子のπ成分(π2)、ジエンなら4電子のπ成分(π4)、切れるσ結合なら2電子のσ成分(σ2)です。次に、各成分の両端で新しい結合がどちらの面にできるかで、次の2つを区別します。
そのうえで、次の規則を当てはめます。
加熱で進むペリ環状反応が対称許容になるのは、「電子数が4q+2のスプラ型成分」と「電子数が4rのアンタラ型成分」の数の合計が奇数のとき(q、rは0以上の整数)。光反応では、合計が偶数のとき許容になる12。
数えるのは「2、6、10電子のスプラ型成分」と「0、4、8電子のアンタラ型成分」だけで、それ以外の成分は数えません。
| 反応 | 成分 | 数える成分 | 合計 | 加熱で |
|---|---|---|---|---|
| クライゼン転位([3,3]) | σ2s+π2s+π2s | 3つとも(4q+2)s | 3(奇数) | 許容 |
| [1,5]水素移動(同じ面) | σ2s+π4s | σ2sのみ | 1(奇数) | 許容 |
| [1,3]水素移動(同じ面) | σ2s+π2s | 2つとも | 2(偶数) | 禁制 |
| ディールス・アルダー反応 | π4s+π2s | π2sのみ | 1(奇数) | 許容 |
| アルケン同士の[2+2] | π2s+π2s | 2つとも | 2(偶数) | 禁制(光で許容) |
2節の軌道相関図と3-2のフロンティア軌道の結論が、そのまま再現されています。IUPACの用語集では、ディールス・アルダー反応を[π4s+π2s]付加環化と書く例が挙げられています1。
この規則は「その経路の軌道の位相が合うか」を判定するだけです。クライゼン転位の遷移状態がいす形でも舟形でも規則上は許容で、どちらが低いかは教えてくれません。アンタラ型の成分を含む経路が「許容」と出ても、[1,3]水素移動のように幾何学的に実現できないことがあるので、最後は分子の形で確かめる必要があります。
電子環状反応は、共役ポリエンの両端のあいだに新しいσ結合ができて環が閉じる反応、またはその逆の開環反応です。1,3-ブタジエンとシクロブテン、1,3,5-ヘキサトリエンと1,3-シクロヘキサジエンの相互変換が代表例です。一般に、四員環のシクロブテンは環のひずみのために開環する方向へ、ヘキサトリエンは閉環する方向へ進みやすくなります。
環を閉じるには、両端の炭素のp軌道がそれぞれ約90°回転して、向かい合わなければなりません。回り方は2通りあります。両端が同じ向きに回る「同旋(conrotatory)」と、逆向きに回る「逆旋(disrotatory)」です。どちらで回るかによって、両端の置換基の向きが変わり、生成物の立体化学が変わります。
電子環状反応には、共役系が1つしか関わりません。付加環化のように「2分子のHOMOとLUMOの組み合わせ」を作れないので、フロンティア軌道論は使えないように見えるかもしれません。
しかし、実際には使えます。見るべき軌道はその共役系自身のHOMOで、見るべき場所は、新しい結合をつくる両端のp軌道の位相です。図8のとおり、加熱したときのブタジエンは両端が逆位相のψ2がHOMOなので同旋で閉じ、ヘキサトリエンは両端が同位相のψ3がHOMOなので逆旋で閉じます。
ウッドワードとホフマンが1965年に最初に発表した論文は、まさにこの電子環状反応についてのもので、HOMOの両端の対称性から立体化学を説明していました13。ホフマン自身も2004年に、電子環状反応をフロンティア軌道で説明する考え方がこの研究の中で生まれた経緯を振り返っています14。
光を当てると、電子が1個LUMOへ上がり、その軌道が新しくHOMOの役を果たします。ブタジエンではψ3(両端が同位相)が働くので逆旋に、ヘキサトリエンではψ4(両端が逆位相)が働くので同旋に変わります。加熱と光で立体化学が逆転する、という「機構のない反応」の謎は、こうして説明されました。
「電子環状反応は分子軌道が1つしか関わらないので、フロンティア軌道論では解釈できず、Woodward–Hoffmann則を使うしかない」という説明を見かけることがありますが、これは言い過ぎです。正しいのは「関わる共役系が1つなので、2分子のHOMO–LUMOの組み合わせという形はとれない」という部分までです。HOMOの両端の位相を見る方法はフロンティア軌道論そのもので、Woodward–Hoffmann則の相関図や成分の数え方と同じ結論を与えます。
3-3の成分の数え方を使うと、電子環状反応は1つのπ成分だけの反応として扱えます。ブタジエンの閉環は4電子のπ成分(π4)です。
同旋では、一方の端は上の面、もう一方の端は下の面のローブで新しい結合をつくるので、アンタラ型(π4a)になります。「4r電子のアンタラ型成分」が1つで合計1(奇数)となり、加熱で許容です。逆旋はスプラ型(π4s)で、数える成分がなく合計0(偶数)なので、加熱では禁制です。
ヘキサトリエン(π6)では逆に、逆旋のπ6sが「4q+2電子のスプラ型成分」1つで許容、同旋のπ6aは数えないので禁制です。軌道相関図で調べる場合は、同旋では2回回転軸、逆旋では鏡映面が反応のあいだ保たれるので、その対称要素で軌道を分類します。
この規則の予想どおりの結果が、実験で確かめられています。3,4-ジメチルシクロブテンを加熱して開環させると、cis体からは(2E,4Z)-2,4-ヘキサジエンが、trans体からは(2E,4E)-2,4-ヘキサジエンが得られます15。どちらも同旋で開環した場合にだけできる生成物です。
ちなみにcis-3,4-ジメチルシクロブテンは、2つの不斉炭素をもちながら分子内に鏡映面をもつメソ化合物です。trans体の同旋開環には、2つのメチル基が外側へ回る向きと内側へ回る向きの2通りがあり、内側へ回ると(2Z,4Z)体になるはずですが、実際に得られるのは(2E,4E)体です。どちらも規則上は許容で、選ばれるのは立体的に混み合わない方の回り方です。E/Z表記の決め方は別の記事で扱っています。
同じように、ヘキサトリエンでは加熱で逆旋になるので、(2E,4Z,6E)-2,4,6-オクタトリエンが閉環すると、2つのメチル基が同じ面にそろったcis-5,6-ジメチル-1,3-シクロヘキサジエンができると予想されます。
ここまでの結論を、関わる電子の数で整理すると次のようになります。電子の数が4n+2か4nかで、加熱と光の結果がきれいに入れ替わります。
| 反応 | 電子の数 | 加熱で許容 | 光で許容 |
|---|---|---|---|
| 付加環化 | 4n+2([4+2]など) | スプラ型+スプラ型 | スプラ型+アンタラ型 |
| 4n([2+2]など) | スプラ型+アンタラ型 | スプラ型+スプラ型 | |
| 電子環状反応 | 4n+2(ヘキサトリエンなど) | 逆旋 | 同旋 |
| 4n(ブタジエンなど) | 同旋 | 逆旋 | |
| シグマトロピー転位 | 4n+2([1,5]-H、[3,3]など) | スプラ型 | アンタラ型 |
| 4n([1,3]-H、[1,7]-Hなど) | アンタラ型 | スプラ型 |
4n+2という数を見て、ヒュッケル則を思い出した人もいるかもしれません。これは偶然ではありません。2節で触れたEvansの見方を発展させ、ZimmermanとDewarは、ペリ環状反応の遷移状態の環状の軌道の並びが芳香族的なら許容、反芳香族的なら禁制とする判定法を示しました4。位相の反転を含まないふつうの環状の並び(ヒュッケル型)では4n+2電子が芳香族的になり、位相の反転を1回含む並び(メビウス型)では逆に4n電子が芳香族的になります。付加環化の[4+2]は6電子のヒュッケル型の遷移状態、ブタジエンの同旋閉環は4電子のメビウス型の遷移状態、と読み替えられます。
この記事で使った見方は、フロンティア軌道論、軌道相関図、成分の数え方、芳香族的な遷移状態の4つです。ここで扱った反応については、どれを使っても同じ結論になります。 両端の位相を見るだけのフロンティア軌道論がいちばん手軽です。フロンティア軌道論と成分の数え方は対称性のない分子にも使え、軌道相関図は対称要素が必要な代わりに、すべての軌道の行き先を追えるいちばん厳密な方法です。
これらの規則が教えてくれるのは、協奏的な経路が「許容」か「禁制」かという質的な判定です。反応がどれくらい速いか、いす形と舟形のどちらを通るか、ディールス・アルダー反応でどの位置・どの面に付くかといった選択性は、別に考える必要があります。遷移状態の芳香族性についても、2025年のFernándezの総説は、同期性の高い(2本の結合が同時にできる)反応ほど遷移状態の芳香族性が大きい傾向はあるものの、それが必ずしも低い活性化障壁に結びつくわけではない、とまとめています4。
Q1. 「[4+2]付加環化」と「[3,3]シグマトロピー転位」の角かっこの数字は、それぞれ何を数えていますか。
A1. 付加環化の[4+2]は、各成分が反応に使う電子の数(ジエンの4電子とアルケンの2電子)です。シグマトロピー転位の[3,3]は、切れる結合の両端を1として数えた、2つの断片の原子の数です。
Q2. アルケン同士の[2+2]付加環化が、加熱では進まず光では進むのはなぜですか。フロンティア軌道の言葉で説明してください。
A2. 加熱(基底状態)では、一方のHOMO(π、両端が同位相)と他方のLUMO(π*、両端が逆位相)の位相が一方の端で合わず、同じ面どうしで2本の結合を同時につくれません。光で電子が1個π*に上がると、そのπ*がHOMOの役を果たし、相手のLUMO(π*)と両端で位相が合うため、反応が許容になります。
Q3. 1,3-ブタジエンからシクロブテンへの閉環を、ウッドワードとホフマンの成分の数え方で判定してください。加熱では同旋と逆旋のどちらが許容ですか。
A3. 4電子のπ成分1つの反応です。同旋はπ4aで、「4r電子のアンタラ型成分」が1つなので合計1(奇数)となり、加熱で許容です。逆旋はπ4sで、数える成分がなく合計0(偶数)なので、加熱では禁制です。
Q4. クライゼン転位が加熱で進む理由を、成分の数え方で説明してください。
A4. 切れるO–C結合のσ2sと、2つのπ結合のπ2s、π2sの3成分からなります。3つとも「4q+2電子のスプラ型成分」なので合計3(奇数)となり、加熱で許容です。
Q5. 「電子環状反応はフロンティア軌道論では解釈できない」という説明のどこが言い過ぎですか。
A5. 関わる共役系が1つなので、2分子のHOMOとLUMOの組み合わせを作れない、という点は正しいです。しかし、その共役系自身のHOMOの両端の位相を見れば、同旋か逆旋かが決まります。これはフロンティア軌道による解釈そのもので、1965年のウッドワードとホフマンの最初の論文もこの考え方で立体化学を説明していました。
ペリ環状反応は、電荷の偏りも中間体もないかわりに、軌道の位相というもう1つの規則に従って進みます。3種類の反応の見かけは違っても、「両端で同じ位相どうしが重なれるか」という一点を確かめるだけで、加熱と光のどちらで、どちらの立体化学で進むかが決まります。ディールス・アルダー反応の位置選択性やendo選択性のような細かい話題は、ディールス・アルダー反応の選択性の記事で扱っています。