反応機構

ラジカル連鎖反応とハロゲン化の選択性(塩素化・臭素化・NBS)

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キーワード: ラジカル, ラジカル連鎖反応, 結合解離エネルギー, 位置選択性, 超共役, 共鳴構造

メタンや2-メチルプロパンのようなアルカンには、π電子も非共有電子対もありません。求核剤も求電子剤も攻撃する場所がないので、これまでの記事で扱ってきたイオン反応はほとんど起こりません。ところが、塩素や臭素と混ぜて光を当てると、C–H結合の水素がハロゲンに置き換わります。

求核剤も求電子剤も攻撃できない相手なのに、なぜ水素が置き換わるのでしょうか。光を当てると進むことも合わせて考えると、正や負の電荷をもつイオンとは別の種類の化学種が、反応を進めていそうです。

しかも、塩素と臭素では結果が大きく違います。塩素化は速く進みますが、どの水素もかなり無差別に置き換えます。臭素化は遅い代わりに、第三級の水素をはっきり選びます。

この記事では、まずその化学種の正体である、不対電子をもつラジカルと、ラジカルが連鎖反応で働く仕組みを押さえます。そのうえで、塩素と臭素の選択性の差を、水素を引き抜く段階が発熱か吸熱かという点から説明します。

1. ラジカルとは何か

1-1. 結合が均等に切れる:均一開裂と片羽矢印

IUPACは、ラジカル(フリーラジカル)を「不対電子をもつ分子種」と定義しています1。メチルラジカル(•CH3)や塩素原子(Cl•)がその例です。「•」が不対電子を表します。

これまでの記事で見てきた反応では、結合が切れるとき、結合の電子2個がそろって片方の原子へ移りました。これを不均一開裂(ヘテロリシス)と呼びます2。SN1反応で臭化物イオンが外れ、カルボカチオンが残るのがその例です。

これに対して、結合の電子が1個ずつ両側に分かれる切れ方を均一開裂(ホモリシス)と呼びます3。できた2つの断片はどちらも不対電子を1個ずつもつので、ラジカルになります。電子1個の動きは、矢じりの返しが片側にしかない片羽矢印で描きます。

均一開裂(ホモリシス):電子が1個ずつ分かれるClCl①②塩素分子光Cl•+Cl•塩素原子(ラジカル)× 2不均一開裂(ヘテロリシス):電子2個がそろって移るBr③2-ブロモ-2-メチルプロパン+カルボカチオン+Br−臭化物イオン
図1. 結合の2通りの切れ方。上:塩素分子の均一開裂。Cl–Cl結合の電子が1個ずつ両側の塩素へ移り(片羽矢印①②)、塩素原子(ラジカル)が2つできる。矢印が見えるように、Cl–Cl結合は長めに描いてある。下:2-ブロモ-2-メチルプロパンの不均一開裂(SN1反応の第1段階)。C–Br結合の電子2個がそろって臭素へ移り(両羽矢印③)、カルボカチオンと臭化物イオンができる。

均一開裂では結合が切れるので、その結合の強さ(結合解離エネルギー)に当たるエネルギーが要ります。Cl2のCl–Cl結合(約242 kJ/mol)やBr2のBr–Br結合(約194 kJ/mol)は、C–H結合(約400 kJ/mol以上)よりずっと弱く4、光(紫外線など)を当てると均一開裂します5。アルカンのハロゲン化が「光を当てると進む」のは、この切断が反応の入口になるからです6。

1-2. ラジカルはイオンとは違う規則で動く

この記事で扱うラジカルは中性で電荷をもたないので、正と負が引き合うというイオン反応の見方がそのままでは使えません。ラジカルは、ほかの分子の結合から原子を1個引き抜いたり、二重結合に付加したりします。このとき、自分の不対電子と相手の結合電子1個で新しい結合をつくり、相手の側には不対電子が1個残って、新しいラジカルになります5。

反応のあとにもラジカルが1個残るので、できたラジカルが次の分子と反応し、それがまた次のラジカルを生む、という具合に反応がつながります。このような反応を連鎖反応と呼びます。合成で使われるラジカル反応の多くは、この形で進みます(2節)。

ラジカルは二重結合にも付加します。過酸化物存在下のHBrの付加では、臭素原子がアルケンに付加する段階が、連鎖の成長段階の1つになっています。炭素ラジカルの同じ分子の中に二重結合があると、付加によって環ができることもあります。5-ヘキセニルラジカルが五員環のシクロペンチルメチルラジカルに閉環する反応はその代表例で、速さが詳しく測られ、ラジカルの反応の速さを測る基準(ラジカル時計)として使われています7。

ふつうの炭素ラジカルは、生じるとすぐにほかの分子と反応してしまう短寿命の化学種です。ただし例外もあり、1900年にGombergが報告したトリフェニルメチルラジカルは、溶液中で二量体と平衡にありながら長く存在できる炭素ラジカルとして知られています8。ニトロキシドのTEMPO(2,2,6,6-テトラメチルピペリジン-1-オキシル)は、試薬として瓶に入れて市販されているほど安定なラジカルです9。

1-3. ラジカルの安定性と形

ラジカルの安定性は、そのラジカルを作るときに切るC–H結合の強さ(結合解離エネルギー)で比べるのがふつうです。表1のように、C–H結合はメチル、第一級、第二級、第三級の順に弱くなります10。弱い結合ほど切りやすいので、第三級ラジカルがもっとも生じやすいことになります。

表1. C–H結合の結合解離エネルギー(25 °C、気相)。値はBlanksbyとEllisonの総説の表(kcal/mol)から1 kcal = 4.184 kJで換算した(アセトニトリルはGoebbertらの値)。アセトアルデヒドとアセトニトリルの値は誤差が±2 kcal/mol(約±8 kJ/mol)ある。
切る結合できるラジカル結合解離エネルギー(kJ/mol)
H–CH3(メタン)メチル439.3
H–CH2CH3(エタン)第一級(エチル)423.0
H–CH(CH3)2(プロパンの中央)第二級(イソプロピル)412.5
H–C(CH3)3(2-メチルプロパンの中央)第三級(tert-ブチル)403.8
H–CH2CH=CH2(プロペン)アリル371.5
H–CH2C6H5(トルエン)ベンジル375.7
H–CH2CHO(アセトアルデヒド)カルボニル基の隣約393
H–CH2CN(アセトニトリル)シアノ基の隣約38911

アルキル置換によるこの序列は、カルボカチオンの安定性と同じ向きです。どちらも、隣のC–H結合やC–C結合の電子が、半分空いた(カチオンでは空の)p軌道に流れ込む超共役で説明されます。

ただし、向きが同じだからといって中身まで同じではありません。カルボカチオンはシアノ基やカルボニル基のような電子求引基が隣にあると不安定になりますが、ラジカルはこれらの基でも安定化されます(表1の下の2行)。不対電子が置換基のπ系に広がれるからです12。逆に、CF3基のように誘起効果だけで電子を引く基は、ラジカルをわずかに不安定にすると計算されています12。「電子を押し出すから安定」という理由づけは、ラジカルにはそのまま使えません。

なお、置換が増えるとC–H結合が弱くなること自体は測定値ですが、その原因を「ラジカルが安定になるから」と読むのは解釈です。2022年には、置換が増えるとむしろラジカルは不安定になり、それ以上にC–H結合をもつ分子の側が立体的な込み合いで不安定になるためにC–H結合が弱くなる、とする計算も報告されています13。この記事では、結合の切りやすさの序列として表1を使います。

ラジカル中心の炭素の形も、カチオンとは少し違います。メチルラジカルは平面形(またはほぼ平面形)ですが14、CF3ラジカルは大きくピラミッド形に曲がっています15。混成軌道で言えば、メチルラジカルの炭素はsp2に近く、不対電子は残ったp軌道に入っていると考えられます。

2. 連鎖反応の3段階

IUPACは連鎖反応を、反応性の中間体(多くはラジカル)が、成長段階と呼ばれる素反応の繰り返しの中で次々に再生される反応、と定義しています16。連鎖を運ぶ化学種は連鎖担体と呼ばれます17。2-メチルプロパンの臭素化で、3つの段階を順に見ます。

開始段階では、光でBr2が均一開裂し、臭素原子が2つできます。

成長段階は2つの反応からなります。(a) 臭素原子が2-メチルプロパンの中央の炭素から水素を引き抜き、HBrとtert-ブチルラジカルができます。(b) tert-ブチルラジカルがBr2から臭素を1個受け取り、2-ブロモ-2-メチルプロパンになります。このとき臭素原子が1個はじき出されます。

(a) 水素の引き抜き Br H • ① ② ③ 臭素原子 + 2-メチルプロパン H Br + • 臭化水素 + tert-ブチルラジカル (b) 臭素の受け取り Br Br • ④ ⑤ ⑥ 臭素分子 + tert-ブチルラジカル Br + Br • 2-ブロモ-2-メチルプロパン + 臭素原子
図2. 2-メチルプロパンの臭素化の成長段階。(a) 臭素原子の不対電子とC–H結合の電子1個で新しいH–Br結合ができ(①②)、C–H結合のもう1個の電子が炭素に残ってtert-ブチルラジカルになる(③)。(b) tert-ブチルラジカルの不対電子とBr–Br結合の電子1個でC–Br結合ができ(④⑤)、残りの1個をもった臭素原子がはじき出される(⑥)。(b) で出た臭素原子は (a) に戻って、次の2-メチルプロパンを攻撃する。

(b) で出てきた臭素原子は、(a) の出発物と同じものです。そのため (a) と (b) は何度でも繰り返され、そのたびに2-ブロモ-2-メチルプロパンが1分子ずつできていきます。成長段階の2つの式を足し合わせると、臭素原子は消えて、全体の反応式「2-メチルプロパン+Br2 → 2-ブロモ-2-メチルプロパン+HBr」だけが残ります。

停止段階では、ラジカルどうしが出会って結合し、連鎖が途切れます。臭素原子どうし(Br2に戻る)、tert-ブチルラジカルと臭素原子、tert-ブチルラジカルどうしの組み合わせが考えられます。停止は、成長に比べるとときどきしか起こりません6。

開始段階で生じた少数のラジカルは、停止するまでに成長段階を何度も回します。そのため、光で切れたBr2の数よりはるかに多くの生成物ができます。開始段階は、全体の反応式に量論的に効いてくる段階ではありません。Br2が消費されるのは、主に成長段階 (b) です。

3. 塩素化と臭素化の選択性

ブタンには、両端のCH3に第一級の水素が6個、中央の2つのCH2に第二級の水素が4個あります。塩素化では、2-クロロブタンと1-クロロブタンが71:29の比でできます18。臭素化では、2-ブロモブタンと1-ブロモブタンの比は98:2になります18。

ブタン塩素化Cl2光Cl2-クロロブタン71 %Cl1-クロロブタン29 %臭素化Br2光Br2-ブロモブタン98 %Br1-ブロモブタン2 %
図3. ブタンの塩素化(左)と臭素化(右)。どちらも光(または加熱)で開始する。生成物の割合は名城大学の講義資料の値。臭素化の方が、第二級の水素を強く選ぶ。

この比をそのまま反応性の比と読んではいけません。第一級の水素は第二級より数が多いので、水素1個あたりの反応性に直すには、生成物の割合をそれぞれの水素の数で割ります(表2)。

表2. 水素1個あたりの相対反応性。ブタンの値は名城大学の講義資料の生成物比から計算した(臭素化の値は、1-ブロモブタンの2%という小さな値から計算しているので目安)。2-メチルプロパンの塩素化の比と、臭素化の相対反応性(第一級:第二級:第三級=1:82:1640)はOpenStax Organic Chemistryの値6,18,19。
反応生成物比水素1個あたりの比
ブタンの塩素化第二級:第一級=71:29(71÷4):(29÷6)≈3.7:1
ブタンの臭素化第二級:第一級=98:2(98÷4):(2÷6)≈74:1
2-メチルプロパンの塩素化第三級:第一級=35:65(35÷1):(65÷9)≈5:1

塩素化では、第二級の水素は第一級の約3.7倍、第三級の水素は約5倍反応しやすいだけです6,18。一方、臭素化では第二級が第一級の約80倍、第三級は約1600倍になります19。2-メチルプロパンの第三級の水素は1個しかありませんが、この値を使うと、臭素化の生成物の99%以上が2-ブロモ-2-メチルプロパンになると見積もれます(1640÷(1640+9))。

相対反応性の値は、出典や反応条件(温度・溶媒・気相か液相か)でかなり違います。たとえば塩素化の第二級:第一級は、OpenStaxでは3.5、名城大学の講義資料では3.7です。ここではブタンに名城大学の講義資料の生成物比を、2-メチルプロパンと臭素化の相対反応性にOpenStaxの値を使いました。値を比べるときは、同じ出典の値どうしで比べてください。

4. Hammondの仮説で選択性の差を説明する

どの水素が置き換わるかは、成長段階 (a) の水素の引き抜きで決まります。(b) は、すでにできたラジカルに臭素や塩素が付くだけで、位置はもう変わらないからです。そこで (a) のエンタルピー変化を、表1の値から見積もってみます。

(a) では、C–H結合が1本切れてH–X結合が1本できます。したがって、反応熱はおよそ「C–Hの結合解離エネルギー − H–Xの結合解離エネルギー」です。H–Clは431.6 kJ/mol、H–Brは366.3 kJ/molなので10、第一級のC–H(エチル、423.0 kJ/mol)と第三級のC–H(403.8 kJ/mol)について、次のようになります(メタンのC–Hは439.3 kJ/molなので、塩素原子でもわずかに吸熱です)。

表3. 水素の引き抜き X• + H–R → H–X + R• のエンタルピー変化(kJ/mol)。表1と本文の結合解離エネルギーから計算した。負は発熱、正は吸熱。
引き抜く水素塩素原子臭素原子
第一級(エチル)−8.6(発熱)+56.7(吸熱)
第三級(tert-ブチル)−27.8(発熱)+37.5(吸熱)
第一級と第三級の差19.219.2
360380400420440C–H 結合の結合解離エネルギー(kJ/mol)H–Cl 431.6H–Br 366.3メチル439.3第一級(エチル)423.0第二級(イソプロピル)412.5第三級(tert-ブチル)403.8ベンジル375.7アリル371.5
図4. C–H結合の結合解離エネルギー(点)と、H–Cl・H–Brの結合解離エネルギー(破線)の比較(表1の値)。点が破線より左なら、そのハロゲン原子による水素の引き抜きは発熱、右なら吸熱になる。塩素原子にとってはここに示した水素の引き抜きはどれも発熱で(メタンのC–H、439.3 kJ/molだけはわずかに吸熱)、臭素原子にとってはアルキル基の水素の引き抜きはすべて吸熱になる。

第一級と第三級の生成物側(ラジカル+ハロゲン化水素)のエネルギー差(19.2 kJ/mol、つまりC–H結合の結合解離エネルギーの差)は、塩素でも臭素でも同じです。違うのは、その差がどれだけ遷移状態の高さの差に現れるかです。ここで使うのが、Hammondが1955年に反応速度の相関を論じた論文で提案した、Hammondの仮説です20。

Hammondの仮説は、エネルギーの近い2つの状態が反応の中で続けて現れるとき、その2つは構造もよく似ている、というものです20,21。教科書ではこれを「遷移状態は反応物と生成物のうち、エネルギーの近い方に似る」と言い換えることが多く、IUPACの用語集はこの言い方をLefflerの考え方に近い形として紹介しています21。エネルギーが下がる(発エルゴンの)段階では遷移状態は反応物に似ていて、上がる(吸エルゴンの)段階では生成物に似ています22。水素の引き抜きでは、エントロピーの変化が小さいので、発熱・吸熱で読み替えて考えます。

反応座標エネルギー塩素原子(発熱)Cl• + H–R第一級第三級遷移状態山の高さの差は小さい反応座標エネルギー臭素原子(吸熱)Br• + H–R第一級第三級遷移状態山の高さの差が大きい
図5. 水素の引き抜きのエネルギー図(模式図。縦軸の目盛りは表3の値に比例させていない)。左:塩素原子。発熱なので遷移状態は早く現れ、反応物に似ている。第一級と第三級の経路の山の高さの差は小さい。右:臭素原子。吸熱なので遷移状態は遅く現れ、ラジカルに似ている。生成物側のエネルギー差が、ほぼそのまま山の高さの差になる。第一級と第三級の生成物側の差(表3の19.2 kJ/mol)は、左右の図で同じ幅に描いてある。

エタン以上のアルカンでは、塩素原子による水素の引き抜きは発熱なので、遷移状態は反応物に近く、C–H結合はまだあまり伸びていません。ラジカルはほとんどできかけていないので、第一級か第三級かの違いが遷移状態にあまり効きません。そのため塩素化は速く進む一方で、選択性が低くなります。

臭素原子の水素の引き抜きは吸熱なので、遷移状態は生成物のラジカルに近く、C–H結合はほとんど切れかけています。そのためラジカルの安定性の差が遷移状態の高さにほぼそのまま現れ、第三級の水素の引き抜きが圧倒的に有利になります。臭素化が遅いのは、この段階の山がそもそも高いからです。

位置選択性の記事では「中間体が不安定なほど、遷移状態はその中間体に似る」という考え方を使って、中間体の安定性を遷移状態の高さの目安にしました。これが名前を出さずに使っていたHammondの仮説です。ラジカルのハロゲン化では、同じ考え方が、塩素と臭素の選択性の差まで説明します。

5. アリル位・ベンジル位の臭素化とNBS

表1で特に弱いのが、二重結合の隣(アリル位)とベンゼン環の隣(ベンジル位)のC–H結合です。これらの水素を引き抜いてできるアリルラジカルやベンジルラジカルは、不対電子が共鳴でπ系に広がるので安定です23。そのため、臭素原子はこれらの位置の水素を選んで引き抜きます。

共鳴で不対電子が2か所に広がるので、非対称なアリルラジカルでは、臭素が付く位置が2通りになります(不対電子がなぜ両端に分かれるかは、共役と非局在化の記事で分子軌道から説明しています)。たとえば1-オクテンをアリル位で臭素化すると、3-ブロモ-1-オクテンと1-ブロモ-2-オクテンの混合物になります23。

1-オクテンBr• が3位の H を引き抜く•不対電子が3位•不対電子が1位アリルラジカル(2つの共鳴構造で表す)3位に BrBr3-ブロモ-1-オクテン17 %1位に BrBr1-ブロモ-2-オクテン83 %(E 体と Z 体の合計)
図6. 1-オクテンのアリル位の臭素化。臭素原子が3位の水素を引き抜いてできるアリルラジカルは、不対電子が1位と3位に分かれた2つの共鳴構造で表される。臭素がどちらの端に付くかで、2種類の生成物ができる(割合はOpenStax Organic Chemistry 10.4の値。1-ブロモ-2-オクテンはE体とZ体を合わせた値)。

ただし、アルケンにBr2をそのまま加えると、ブロモニウムイオンを経る付加が起こってしまい、アリル位の置換は進みません。そこで使われるのがN-ブロモスクシンイミド(NBS)です。NBSを光や過酸化物と一緒に使うと、アルケンの二重結合を残したまま、アリル位の水素だけが臭素に置き換わります。NBSを用いるこの反応は、1942年にZieglerらが報告しました24。シクロヘキセンからは、3-ブロモシクロヘキセンが85%で得られます25。

臭素原子がアリル位の水素を引き抜くBr•+HBr+•臭化水素が NBS と反応して臭素分子ができるOONBr+HBrOONH+Br2アリルラジカルが臭素分子から臭素を受け取る•+Br2Br+Br•
図7. NBSによるシクロヘキセンの臭素化の連鎖。臭素原子がアリル位の水素を引き抜き(上段)、できたHBrがNBSと反応してBr2とスクシンイミドになる(中段)。アリルラジカルがそのBr2から臭素を受け取ると、3-ブロモシクロヘキセンができて臭素原子が再生する(下段)。

NBSの役割は、反応で生じたHBrと反応して、Br2を少しずつ作ることです25。連鎖を運ぶのはNBSそのものではなく、2節と同じ臭素原子です。NBSはBr2の貯蔵庫で、反応液中のBr2の濃度を常に低く保ちます。

Br2の濃度が低いと、Br2そのものがアルケンに付加する反応は遅くなります。臭素原子がアルケンに付加しても、Br2が少ないと捕まる前に元に戻りやすく、一方でアリル位の水素の引き抜きは少量のBr2でも連鎖を続けられます。こうして置換が付加に勝つ、というのがGoldfingerらの説明で26、教科書の機構もこの考えに沿っています。もっとも、NBSの反応で何が連鎖を運ぶのかは、その後も長く研究の対象になりました27。

ベンジル位でも同じことが起こります。プロピルベンゼンをNBSと過酸化ベンゾイルで臭素化すると、ベンゼン環の隣の炭素だけが臭素化され、(1-ブロモプロピル)ベンゼンが97%で得られます28。

NBSによるアリル位・ベンジル位の臭素化は、水を含まない溶媒中で行います。水があるとNBSから生じたBr2がアルケンに付加し、ブロモニウムイオンを水が攻撃してブロモヒドリンができます。たとえばスチレンを水とジメチルスルホキシドの中でNBSと反応させると、2-ブロモ-1-フェニルエタノールが70%で得られます29。同じ試薬でも、条件によってラジカル反応にもイオン反応にもなります。

理解度チェック

Q1. 光を当ててCl2をほんのわずかしか切らなくても、大量のクロロアルカンができます。なぜですか。

A1. 成長段階で塩素原子が再生するからです。塩素原子がアルカンから水素を引き抜いてアルキルラジカルができ、そのラジカルがCl2から塩素を受け取ると、生成物1分子と塩素原子1個ができます。この塩素原子が次のアルカンを攻撃するので、開始段階で生じた少数のラジカルが、停止するまでに多数の生成物を作ります。

Q2. ラジカルの安定性は、カルボカチオンと同じく第三級>第二級>第一級の順です。では「安定化の理由もカルボカチオンと同じ」と言ってよいですか。

A2. いいえ。アルキル基による安定化を超共役で説明できる点は共通ですが、ラジカルはシアノ基やカルボニル基のような電子求引基でも、不対電子がπ系に広がることで安定化されます。カルボカチオンはこれらの基で不安定になります。「電子を押し出すから安定」という理由はラジカルには当てはまりません。

Q3. ブタンの塩素化で、2-クロロブタンと1-クロロブタンが71:29の比でできました。第二級の水素は第一級の水素の何倍反応しやすいですか。

A3. 約3.7倍です。第二級の水素は4個、第一級の水素は6個あるので、水素1個あたりに直すと (71÷4):(29÷6)=17.75:4.83≈3.7:1 になります。生成物比の71:29をそのまま使うと、水素の数の違いを無視することになります。

Q4. 塩素原子による水素の引き抜きは発熱、臭素原子による引き抜きは吸熱です。このことから、臭素化の方が選択性が高い理由を説明してください。

A4. Hammondの仮説によれば、吸熱の段階の遷移状態は生成物に似ます。臭素原子の引き抜きでは遷移状態がアルキルラジカルに近いので、第三級と第一級のラジカルの安定性の差が、遷移状態の高さの差にほぼそのまま現れます。塩素原子の引き抜きは発熱で、遷移状態が反応物に近く、ラジカルの安定性の差があまり効かないので、選択性が低くなります。

Q5. シクロヘキセンのアリル位を臭素化するとき、Br2ではなくNBSを使うのはなぜですか。

A5. Br2の濃度が高いと、Br2が二重結合に付加する反応(ブロモニウムイオンを経るイオン反応)が起こってしまうからです。NBSは反応で生じるHBrと反応してBr2を少しずつ供給するので、Br2の濃度が低く保たれ、臭素原子による水素の引き抜き(ラジカル連鎖)が付加に勝ちます。

ラジカルは不対電子をもつ化学種で、結合の均一開裂で生じ、連鎖反応として働きます。開始段階で生じた少数のラジカルが、成長段階を繰り返して多数の生成物を作ります。アルカンのハロゲン化の位置は水素の引き抜きの段階で決まり、それが発熱か吸熱かによって、ラジカルの安定性の差がどれだけ選択性に現れるかが変わります。吸熱の臭素原子は第三級の水素を強く選び、NBSを使えばアリル位やベンジル位の水素だけを狙って置き換えられます。

ラジカルの連鎖反応は、ハロゲン化のほかにも、空気中の酸素による有機物の酸化(自動酸化)、ポリエチレンやポリスチレンを作るラジカル重合、大気中のオゾンの生成と分解などに共通する仕組みです。どれも、開始・成長・停止の3段階という同じ枠組みで読むことができ、自動酸化では、どの水素が引き抜かれやすいかという見方もそのまま使えます。

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