反応機構

ディールス・アルダー反応の選択性(s-cis配座・エンド則・位置選択性)

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キーワード: ディールス・アルダー反応, 付加環化, エンド則, 立体特異性, 位置選択性, 速度支配と熱力学支配, 共役ジエン, フロンティア軌道, HOMO・LUMO, 電子求引基, ルイス酸塩基, ペリ環状反応

1,3-ブタジエンのような共役ジエンとアルケンを加熱すると、2本の炭素–炭素結合が同時にできて六員環が閉じます。これがディールス・アルダー反応です。1回の反応で環と、最大4つの立体中心(ここではすべて不斉炭素)が一度にできるので、六員環をつくる方法として有機合成で広く使われています。

この反応が「なぜ加熱だけで進むのか」は、ペリ環状反応の記事で、フロンティア軌道論とWoodward–Hoffmann則から説明しました。この記事ではその続きとして、実際に反応を使うときに問題になる選択性を扱います。どんなジエンとジエノフィルがよく反応するのか、生成物の立体はどう決まるのか(エンド則)、置換基はどの位置に来るのか(位置選択性)、そしてルイス酸を加えると何が変わるのかの4つです。

エンド則には、教科書で定番の説明(二次軌道相互作用)と、それに対する近年の議論の両方があります。3節では、定番の説明を紹介したうえで、どこまでが実験で確かめられていて、どこからが議論の途中なのかを分けて書きます。

1. ディールス・アルダー反応の概略

ディールス・アルダー反応は、共役ジエン(4原子・4π電子)と、ジエノフィル(求ジエン体)と呼ばれるアルケンやアルキン(2原子・2π電子)のあいだで起こる付加環化です。各成分が反応に使う電子の数から[4+2]付加環化とも呼ばれ、ペリ環状反応の一種に分類されます1。1928年にディールスとアルダーが報告し2、2人は1950年にノーベル化学賞を受けました。

OOO1,3-ブタジエン + 無水マレイン酸加熱OOO1234付加体(六員環)
図1. 1,3-ブタジエンと無水マレイン酸のディールス・アルダー反応。3本の巻き矢印は同時に起こる変化を表す。生成物で青く示した3本の結合が、この反応で新しくできた結合(ジエンの末端C1・C4とジエノフィルをつなぐ2本のσ結合と、C2=C3のπ結合)。立体は3節で扱うので、ここでは描いていない。

図1で起きていることを整理すると、次のようになります。

3つ目の「C2=C3にできる新しいπ結合」は、3節でエンド則を説明するときにもう一度出てきます。

反応は途中に中間体を経ず、1つの遷移状態を通って一段階で進みます(協奏的)。いちばん単純なブタジエンとエチレンの組み合わせについても、協奏的な機構を支持する結果が報告されています3。遷移状態では6個の電子がベンゼンのように環状に非局在化していて、これが「芳香族的な遷移状態」と呼ばれることも、ペリ環状反応の記事で扱いました。

2. よく反応するジエンとジエノフィル

2-1. ジエンはs-cis形をとれなければならない

ジエンの両端のC1とC4が、同時にジエノフィルの2つの炭素に届くには、2つの二重結合が単結合(C2–C3)をはさんで同じ側を向いた形、つまりs-cis形(s-cis配座)になっている必要があります。sはsingle bond(単結合)のまわりの配座であることを示す記号で、この記事では以下s-cis形と書きます。反対側を向いたs-trans形では、両端が離れすぎていて環を閉じられません。

s-trans形回転s-cis形C2–C3結合のまわりの回転エネルギー0.0s-trans形26.812.6ゴーシュ形14.6平面のs-cis形12.6ゴーシュ形(鏡像)単位:kJ/mol
図2. 1,3-ブタジエンのs-trans形とs-cis形(上)と、C2–C3結合のまわりの回転に伴うエネルギー(下)。数値はFellerとCraigの高精度計算による、s-trans形を0としたエネルギー(kJ/mol、零点エネルギーを含まない)4。横軸は回転の順序を表すだけで、角度の目盛りではない。

1,3-ブタジエンでは、s-trans形がいちばん安定です。もう一方の安定な形は、教科書では平面のs-cis形として描かれることが多いものの、実際には2つの二重結合が約34°ねじれたゴーシュ形であることが、2018年に分光学的に確かめられました5。平面のs-cis形は、ねじれの向きが逆の2つのゴーシュ形をつなぐ遷移状態にあたります。

計算によると、ゴーシュ形はs-trans形より12.6 kJ/mol高く、s-trans形からゴーシュ形へ移るための山の高さは26.8 kJ/mol、平面のs-cis形はゴーシュ形よりさらに2.0 kJ/mol高いとされています4。そのため室温ではほとんどの分子がs-trans形にありますが、山の高さは室温の熱運動で容易に越えられる程度なので、2つの形はすばやく入れ替わっています。反応できる形の分子は少なくても、次々に補充されるので反応は進みます。

「s-trans形の方が安定だから反応しない」わけではありません。問題になるのは、s-cis形になれないジエンです。環に組み込まれてs-trans形に固定されたジエンはふつうの付加体を与えず、s-cis形になると内側の置換基が反対側の末端の水素とぶつかるジエンは極めて反応しにくくなります。

反対に、環に組み込まれてs-cis形に固定されたジエンは、特に反応しやすくなります。代表がシクロペンタジエンで、テトラシアノエチレン(TCNE)との反応では、1,3-ブタジエンの約210万倍、1,3-シクロヘキサジエンの約2,600倍の速さで反応します6。

s-cis形に固定:ふつうの付加体を与えるシクロペンタジエン1,3-シクロヘキサジエン同環ジエン(二重結合が同じ環)s-trans形に固定:ふつうの付加体を与えない異環ジエン(2つの環にまたがる)
図3. 環によって形が決まったジエン。上段の3つは2つの二重結合が同じ環の中にあり、s-cis形に固定されている。下段は2つの二重結合が別々の環にあり、s-trans形に固定されている。同環ジエン・異環ジエンは、ステロイドにある2種類のジエンの形を、2つの環だけに簡略化して描いた模式。

図3の同環ジエン・異環ジエンの違いは、ステロイドの反応で古くから知られていました。1948年の総説によると、2つの二重結合が1つの環に収まった同環ジエン(エルゴステロールの誘導体など)は無水マレイン酸とふつうの付加体をつくる一方、二重結合が2つの環にまたがる異環ジエン(3,5-コレスタジエンなど)は、無理に反応させても組成のはっきりしない無定形の生成物しか与えません7。

環に組み込まれていないジエンでも、s-cis形で内側を向く位置に置換基があると反応しにくくなります。1,3-ペンタジエンの2つの異性体がよい例です。

HHCH3(E)-1,3-ペンタジエン内側は H 同士HCH3(Z)-1,3-ペンタジエン内側で H と CH3 がぶつかる
図4. 1,3-ペンタジエンをs-cis形にしたときに内側を向く置換基。(E)体では両端の内側がどちらも水素だが、(Z)体ではメチル基が内側に来て、反対側の末端の水素とぶつかる。

同じ総説には、(E)-1,3-ペンタジエンは無水マレイン酸と容易にふつうの付加体をつくるのに対し、(Z)-1,3-ペンタジエンは重合物しか与えない、と記録されています7。

2-2. ジエノフィルには電子求引基が要る

ジエノフィルの側は、二重結合に電子求引基(カルボニル基・シアノ基など)が共役しているほど反応が速くなります。シアノ基の数を1つずつ増やしたエチレンと、シクロペンタジエンとの反応速度を比べると、その差ははっきりしています。

表1. シアノエチレン類とシクロペンタジエンの反応の二次速度定数(ジオキサン中、20 °C)。Sauerらの1964年の測定値8を、DomingoとRíos-Gutiérrezの論文9のTable 1から引用した。
ジエノフィルシアノ基の数速度定数 105k2(L mol−1 s−1)
アクリロニトリル11.04
フマロニトリル(trans)281
マレオニトリル(cis)291
1,1-ジシアノエチレン24.5 × 104
トリシアノエチレン34.8 × 105
テトラシアノエチレン44.3 × 107

テトラシアノエチレンは、アクリロニトリルのおよそ4000万倍の速さで反応します。同じシアノ基2つでも、1つの炭素に2つ付いた1,1-ジシアノエチレンは、両方の炭素に1つずつ付いたフマロニトリル・マレオニトリルより約500倍速い、という違いもあります。

この傾向は、フロンティア軌道論で説明できます。ディールス・アルダー反応で主に効くのは、電子の豊富なジエンのHOMOと、ジエノフィルのLUMOの相互作用です。電子求引基はジエノフィルのLUMOを下げるので、ジエンのHOMOとのエネルギー差が小さくなり、軌道どうしの相互作用が強くなります。

ブタジエンHOMO(ψ2)LUMO(ψ3)エチレンππ*(LUMO)差が大きいブタジエンHOMO(ψ2)LUMO(ψ3)アクロレインππ*(LUMO)差が小さいエネルギー
図5. ブタジエンのHOMOと、ジエノフィルのLUMOのエネルギー差。左:エチレン、右:電子求引基(C=O)をもつアクロレイン。準位の高さは単純ヒュッケル法の値に比例させた模式図で、エネルギーの実測値ではない。

ジエンのHOMOとジエノフィルのLUMOの組み合わせが主に効く反応を順電子要請型(normal electron demand)と呼びます。ふつうのディールス・アルダー反応はこの型で、電子供与基をもつジエンと電子求引基をもつジエノフィルの組み合わせがよく反応します。反対に、電子の不足したジエン(テトラジン類など)と電子の豊富なジエノフィルの組み合わせでは、ジエンのLUMOとジエノフィルのHOMOの相互作用が主になり、逆電子要請型(inverse electron demand)と呼ばれます10。逆電子要請型のテトラジンとひずんだアルケン(trans-シクロオクテン)の反応は非常に速く、生体分子に目印を付ける反応としても使われています11。

ディールス・アルダー反応のいちばん単純な例として「ブタジエン+エチレン → シクロヘキセン」がよく描かれますが(ペリ環状反応の記事の図2もこの組み合わせです)、電子求引基のないエチレンは反応性が非常に低く、実際には高温・高圧が必要です。エチレンを使ったディールス・アルダー反応が初めて成功したと報告されたのは1941年ですが12、その収率は18%にとどまりました13。後の特許では、165 °C・900気圧・エチレンを20倍量という条件でシクロヘキセンを78%で得ていますが、それでもブタジエン同士が反応した二量体(4-ビニルシクロヘキセン)が約19%できています13。単純な例は、あくまで反応の形を示すためのものです。

2-3. シクロペンタジエンの二量化と逆反応

シクロペンタジエンはジエンとして非常に反応しやすいうえ、二重結合をもつのでジエノフィルにもなれます。そのため、シクロペンタジエン同士がディールス・アルダー反応を起こして二量体(ジシクロペンタジエン)になります。25 °Cでの二量化の速度定数は8.3 × 10−7 L mol−1 s−1で、純粋なシクロペンタジエンは25 °Cで約28時間のうちに半分が二量体になります6。

シクロペンタジエン+シクロペンタジエン室温でも進む約170 °Cで逆反応HHジシクロペンタジエン(エンド体)
図6. シクロペンタジエンの二量化と逆反応。室温でできる二量体はエンド体(3節)。ジシクロペンタジエンは図9と同じ描き方で、2つ目の分子から来た五員環を青で示した。エンド体なので2つの水素が手前(くさび)を向き、五員環は奥(二重結合の橋の側)に付いている。

ディールス・アルダー反応は、高温では逆向きにも進みます(逆ディールス・アルダー反応)。市販のシクロペンタジエンは二量体の形で売られていて、使う直前に約170 °Cに加熱して単量体に戻し、蒸留して取り出します6。この操作はクラッキングと呼ばれます。二量体を加熱すると単量体に戻るのは、2分子が1分子になる反応ではエントロピーが減る(ΔS<0)ため、温度が上がると−TΔSの不利が結合の生成によるΔHの得を上回り、ΔGの符号が逆転するからです。

3. 立体化学とエンド則

3-1. ジエンとジエノフィルの立体がそのまま保たれる

ディールス・アルダー反応では、ジエンとジエノフィルの同じ面どうしで2本の結合が同時にできます。そのため、出発物質の立体(cis/trans、E/Z)がそのまま生成物の立体に写されます。このように、立体配置だけが違う出発物質が互いに立体異性の関係にある生成物を与える反応を、立体特異的と呼びます1。

ジエノフィルの立体が保たれるOOO無水マレイン酸(cis)+ブタジエンOOOHHcis体だけOOOOフマル酸ジエチル(trans)+ブタジエンOOOOtrans体だけジエンの立体が保たれる(ジエンはs-cis形で描いた)(2E,4E)-2,4-ヘキサジエン+DMADOOOOcis体(予想)(2E,4Z)-2,4-ヘキサジエン+DMADOOOOtrans体(予想)
図7. 立体特異性。上の2段:cisのジエノフィル(無水マレイン酸)からはcisの付加体が、transのジエノフィル(フマル酸ジエチル)からはtransの付加体ができる。下の2段:ジエンの立体の違いが、アセチレンジカルボン酸ジメチル(DMAD)との付加体のcis/transに写される(規則から予想される生成物)。ジエンは反応するときのs-cis形で描いた。

ジエノフィル側の例は、どちらも実験手順集『Organic Syntheses』に載っている反応です。ブタジエンと無水マレイン酸からはcisの付加体が93〜97%で得られ14、フマル酸ジエチルとブタジエン(3-スルホレンを加熱して発生させる)からはtransの付加体が得られ、ガスクロマトグラフィーで調べてもcis体はほとんど検出されませんでした15。

ジエン側の立体の効果を見るには、ジエノフィルにアルキン(アセチレンジカルボン酸ジメチルなど)を使うと分かりやすくなります。アルキンの炭素は生成物で二重結合の炭素になるので、ジエノフィル側には新しい立体中心ができず、生成物の立体はジエンの形だけで決まるからです。(2E,4E)-2,4-ヘキサジエンをs-cis形にすると2つのメチル基はどちらも外側を向き、同じ面から結合ができるので、生成物では2つのメチル基が環の同じ側に来ます(cis)。(2E,4Z)体では一方のメチル基が内側を向くので、transになると予想されます。ただし(2E,4Z)体は、図4の(Z)-1,3-ペンタジエンと同じく内側のメチル基がs-cis形を妨げるので、反応しにくいと考えられます。

3-2. エンド体とエキソ体

シクロペンタジエンと無水マレイン酸の反応を考えます。生成物は、橋頭炭素を2つもつビシクロ[2.2.1]骨格(ノルボルネン骨格)に、無水物の環が縮環した化合物です(ビシクロ環の命名は環状化合物の命名の記事で扱いました)。立体中心は4つ(2つの橋頭炭素と、無水物環が付く2つの炭素)ありますが、この反応でできうる立体異性体は2つしかありません。

残る自由度は「無水物環が、CH2の橋と同じ側を向くか、反対側(二重結合の橋の側)を向くか」だけです。この2つのジアステレオマーを、エキソ(exo)体、エンド(endo)体と呼びます。

この2つは、ジエノフィルがどちらの向きでジエンに近づくかで決まります。無水物環がジエンの下に潜り込むように近づくとエンド体、ジエンの外側を向くように近づくとエキソ体になります。

OOOHHCH₂エンド型の遷移状態無水物環がジエンの下に入るOOOHHCH₂エキソ型の遷移状態無水物環がジエンの外を向く
図8. シクロペンタジエン(上)と無水マレイン酸(下)が近づく2通りの向き(遷移状態の模式図)。破線はこれからできる結合。エンド型では無水物環(青)がジエンの下、ジエンの内側の2つの炭素の下に入り、エキソ型ではジエンのCH2の側の外を向く。2つの分子の間隔は、見やすさのため実際の遷移状態より広げて描いた。
OOOHHCH2の橋エンド体2つのHが手前(無水物環は奥)OOOHHCH2の橋エキソ体2つのHが奥(無水物環は手前)
図9. 生成物のエンド体とエキソ体。教科書で定番の描き方(ノルボルネン骨格をCH2の橋が手前上に来る向きで描き、二重結合の橋を左、無水マレイン酸から来た環(青)を右に平面で縮環させる)。立体はC2・C3の水素のくさび(手前=CH2の橋と同じ側)と破線(奥)で示す。エンド体では2つの水素が手前を向くので、無水物環は奥(二重結合の橋の側)にある。エキソ体ではその逆で、無水物環がCH2の橋の側にある。

IUPACの定義では、ビシクロ環のいちばん番号の大きい橋以外の橋(ノルボルネン骨格ではC2・C3やC5・C6)に付いた置換基が、いちばん番号の大きい橋(ノルボルネン骨格ではCH2の1炭素の橋、C7)の側を向いていればエキソ、反対側を向いていればエンドと呼びます16。図9のとおり、エキソ体では無水物環がCH2の橋の側に、エンド体では二重結合の橋の側(ノルボルネン骨格のくぼんだ面の内側)にあります。

エンド体とエキソ体は、どちらも分子内に鏡映面をもち、4つの立体中心をもちながら光学不活性なメソ化合物です。2つは互いに鏡像ではない立体異性体、つまりジアステレオマーの関係にあります。

3-3. なぜエンド体が速くできるのか

シクロペンタジエンと無水マレイン酸を室温で反応させると、エンド体が主生成物として得られます。このように、環状のジエンと、共役した不飽和基(C=Oなど)をもつジエノフィルの反応ではエンド体が優先する、という経験則は、アルダーとシュタインが1937年にまとめたもので17、エンド則(アルダー則)と呼ばれます。

エンド体の方が速くできる理由として教科書で定番なのが、ホフマンとウッドワードが1965年に提案した二次軌道相互作用です18。結合をつくるのはジエンの末端C1・C4とジエノフィルの2つの炭素ですが(一次の相互作用)、エンド型の遷移状態では、ジエノフィルのカルボニル炭素が、ジエンの内側の炭素C2・C3のちょうど下に来ます。C2とC3は、1節で見た「新しくできるπ結合」の炭素です。ここでもジエンのHOMOとジエノフィルのLUMOが同じ位相で重なり、結合はつくらないものの遷移状態を安定化する、という考え方です。エキソ型ではカルボニル基がジエンから遠く、この重なりが起こりません。

ジエンのHOMO(ψ2)OC=OC=O無水マレイン酸のLUMO二次の重なりエンド型ジエンのHOMO(ψ2)OC=OC=O無水マレイン酸のLUMOエキソ型
図10. 遷移状態でのフロンティア軌道の重なりを横から見た模式図。上がジエンのHOMO(ψ2)の下側のローブ、下が無水マレイン酸のLUMOのうち炭素4つ(C=Cの2つとカルボニル炭素2つ)の上側のローブ(塗りと白抜きは位相の違い、酸素上のローブは省略)。ローブの大きさは単純ヒュッケル法の係数に比例させ、無水マレイン酸は環の酸素を除いたO=C–C=C–C=Oの鎖で近似した。黒の破線が結合をつくる一次の重なり、赤の点線がエンド型でだけ起こる二次の重なり(ジエンの内側の炭素とカルボニル炭素)。どちらも同じ位相どうしの重なりになっている。エキソ型ではカルボニル炭素がジエンから離れた外側にある。

二次軌道相互作用はエンド則の説明として広く教えられていますが、それが本当にエンド選択性の主な原因かどうかは、現在も議論が続いています。

「軌道の重なりは存在するが、それが選択性をどこまで決めているかは分からない」というのが、現時点での公平なまとめです。

なお、ブタジエンのように橋のない付加体では、IUPACの橋を基準にした定義はそのまま使えません。この場合のエンド・エキソは、遷移状態でジエノフィルの置換基がジエンの下(C2・C3の側)に入ったか、外を向いたかで区別します。

実験の側からも、エンド則が常に強く効くわけではないことが分かっています。2020年のLordingらの研究では、重水素で目印を付けたブタジエンを使って、いちばん単純な組み合わせの選択性を測りました22。

表2. 単純なジエノフィルのエンド : エキソ比22。
ジエンジエノフィルエンド : エキソ条件
ブタジエンアクリル酸メチル50 : 50145 °C
ブタジエンアクロレイン64 : 36145 °C
ブタジエンアクリロニトリル37 : 63145 °C
シクロペンタジエンアクリロニトリル55 : 4580 °C

アクリロニトリルのように、置換基が小さく直線的なジエノフィルでは、エンド体とエキソ体がほぼ同じ量でき、エキソ体の方が多いことさえあります。二重結合の炭素にメチル基も付いたメタクリル酸メチルとシクロペンタジエンの反応では、エステル基がエキソ側(メチル基がエンド側)を向いた付加体が主になることも報告されています23。エンド則が強く効くのは、無水マレイン酸のような、環状で二重に活性化されたジエノフィルと、後で扱うルイス酸を使った反応です。

3-4. エキソ体の方が安定:速度支配と熱力学支配

エンド体が速くできる一方で、生成物として安定なのはエキソ体です。エンド体では無水物環が二重結合の橋の側(骨格のくぼんだ面の内側)に入り込んでいて、立体的に混み合っているためと説明されます。

反応座標ギブズエネルギー Gシクロペンタジエン+ 無水マレイン酸エンド体エキソ体低い山(速い)高い山わずかに安定
図11. シクロペンタジエンと無水マレイン酸の反応の、速度支配と熱力学支配(模式図、数値はない)。エンド体(青)へ向かう山の方が低いので、エンド体の方が速くできる。生成物はエキソ体(赤)の方がわずかに安定。

ただし、安定性の差は大きくありません。エンド体を約200 °Cに加熱して平衡にすると、エキソ体とエンド体はおよそ57 : 43になります(Craigが1951年に報告した値で、Huertasらの2009年の論文24に引かれています)。平衡に達するのは速く、無溶媒で206 °Cでは15分ほどです24。

室温のように逆反応が起こらない条件では、生成物は先にできた方のまま残ります(速度支配)。高温で逆反応が起こり、生成物どうしが行き来できる条件では、安定な方が多くなります(熱力学支配)。共役ジエンへの求電子付加で見た1,2-付加と1,4-付加の関係と同じ構図です。

逆反応が起こりやすい組み合わせでは、室温でも熱力学支配になります。フランと無水マレイン酸の付加体は、エキソ体として得られることが1948年にウッドワードとベアによって示されました25。フランは芳香族性をもつため付加体の逆反応が起こりやすく、生成物どうしが行き来する間に安定なエキソ体がたまります。一方、2-3節のジシクロペンタジエンは、エキソ体の方が安定であるにもかかわらず、室温ではエンド体としてできます6。こちらは速度支配の例です。

4. 位置選択性:「オルト・パラ則」

4-1. 経験則と部分電荷による見方

非対称なジエンと非対称なジエノフィルが反応すると、置換基どうしの位置関係が異なる2種類の生成物がありえます。実際には一方が多くでき、次の経験則にまとめられています26。

「オルト」「パラ」「メタ」は、生成物の六員環(シクロヘキセン環)での置換基の位置関係を、ベンゼンの二置換体の呼び方になぞらえた言い方です。ベンゼン環ではないので、名前に括弧を付けて使われます。

1位に置換基 → 「オルト」(1,2)Oδ−1-メトキシ-1,3-ブタジエン+OOδ+アクリル酸メチルOOO「オルト」体(主)2位に置換基 → 「パラ」(1,4)δ−イソプレン+OOδ+アクリル酸メチルOO「パラ」体(主)
図12. 位置選択性の例。上:1位に電子供与基(メトキシ基)をもつジエンからは「オルト」体、下:2位に置換基(メチル基)をもつイソプレンからは「パラ」体が主にできる。δ−とδ+は電子の偏りの向き(メトキシ基とエステル基は共鳴、イソプレンのメチル基は超共役による弱い効果)。立体は省略した。

いちばん簡単な考え方は、部分電荷で見る方法です。1-メトキシ-1,3-ブタジエンでは、メトキシ基の酸素の非共有電子対が共役系に流れ込み、共鳴で考えると反対側の末端C4に負電荷が現れます(δ−)。アクリル酸メチルでは、カルボニル基が電子を引くので、エステルから遠い方の末端の炭素(β炭素)が正に傾きます(δ+)。δ−の炭素とδ+の炭素が結合するように向きをそろえると、「オルト」体になります。

イソプレン(2-メチル-1,3-ブタジエン)とアクリル酸メチルの反応は、「パラ」体が主になる例として実験値があります。触媒なしでは「パラ」体 :「メタ」体がおよそ3 : 1(シクロヘキサン中、70 °C)でした27。メチル基は電子供与の弱い置換基なので、選択性もそれほど高くありません。

4-2. フロンティア軌道の係数で考える

部分電荷の見方は直感的ですが、電荷が大きく偏らない反応にまでそのまま当てはめるのには無理があります。フロンティア軌道論では、同じ結論を軌道の係数の大きさから導きます26,28。フロンティア軌道論の記事で見たように、分子軌道の係数は原子ごとに大きさが違い、係数の大きい原子ほど反応の場所になりやすくなります。

OMe1-メトキシ-1,3-ブタジエンのHOMOカルボニル炭素アクリル酸メチルのLUMO大×大OMe2-メトキシ-1,3-ブタジエンのHOMOカルボニル炭素アクリル酸メチルのLUMO大×大
図13. ジエンのHOMO(上)とアクリル酸メチルのLUMO(下)の係数。ローブの大きさを単純ヒュッケル法の係数の絶対値に比例させ、向かい合う側のローブだけを描いた(位相の塗り分けは省略)。メトキシ基の酸素は電子供与性の酸素のパラメータで、アクリル酸メチルはC=C–C=Oのアクロレインで近似した。左:1位にメトキシ基があるとHOMOの係数はC4で大きく、右:2位にあるとC1で大きい。どちらもLUMOの係数の大きいβ炭素と結合する向き(赤の破線)が選ばれる。

図13の計算では、1-メトキシ-1,3-ブタジエンのHOMOの係数はC4(0.60)がC1(0.51)より大きく、2-メトキシ-1,3-ブタジエンではC1(0.67)がC4(0.54)より大きくなります。アクロレインのLUMOの係数は、β炭素(0.66)がα炭素(0.23)よりはるかに大きくなります。大きい係数どうしが先に結合をつくる向きを選ぶと、1位置換のジエンからは「オルト」体、2位置換のジエンからは「パラ」体となり、経験則と一致します。

係数の差(C4の0.60とC1の0.51など)はそれほど大きくありません。位置選択性は「どちらか一方しかできない」ものではなく、多くの場合は比率の問題です。実際のイソプレンの例(約3 : 1)のように、置換基の電子的な効果が弱いと選択性も穏やかになります。

5. ルイス酸で加速する

ジエノフィルにカルボニル基があるとき、塩化アルミニウム(AlCl3)のようなルイス酸を加えると、ディールス・アルダー反応は大きく変わります。ルイス酸はカルボニル酸素の非共有電子対を受け取って配位し、ジエノフィルをさらに強く電子不足にします。その効果は3つに分けられます。

表3. ルイス酸の3つの効果。
効果例
反応が速くなるアントラセン+無水マレイン酸:AlCl3存在下では1.5分で完了。触媒なしで同じ条件なら約4800時間かかると見積もられた(YatesとEaton、1960年)29,30
エンド選択性が上がるシクロペンタジエン+アクリル酸メチル:エンド体の割合が82%から98%に(AlCl3·OEt2、SauerとKredel、1966年)30,31
位置選択性が上がるイソプレン+アクリル酸メチル:AlCl3存在下で「パラ」体がほぼ選択的(95 : 5)にできる(InukaiとKojima、1966年)32,33

この効果の古典的な説明は、フロンティア軌道論によるものです30,34。ルイス酸がカルボニル酸素に配位すると、ジエノフィルのLUMOが下がってジエンのHOMOとの差が小さくなり、反応が速くなります。同時に、LUMOの係数のβ炭素とα炭素の差が大きくなるので、位置選択性が上がる、と説明されます。

ジエンのHOMOLUMOアクリル酸エステルLUMOルイス酸が配位差が小さくなるエネルギーCβCα配位なしCβ/Cα ≈ 2.9CβCα配位ありCβ/Cα ≈ 4.6LUMOの係数
図14. ルイス酸の効果の古典的な説明(模式図)。左:ルイス酸が配位するとジエノフィルのLUMOが下がり、ジエンのHOMOとの差が小さくなる。右:LUMOの係数のβ炭素とα炭素の比が大きくなる。単純ヒュッケル法で、カルボニル酸素のクーロン積分を大きくする(hO=1.0 → 2.0)ことで配位を表した計算値で、準位の高さは模式的。

この「LUMOが下がるから速くなる」という説明に対し、2020年にVermeerenらは、イソプレンとアクリル酸メチルの反応を量子化学計算で解析し、ルイス酸による加速の主な原因は、ジエンとジエノフィルのπ電子どうしの反発(パウリ反発)が小さくなることだと報告しました32。ルイス酸がジエノフィルの被占軌道をC=C結合から遠ざけるので、2つの分子が近づいたときの反発が減る、という見方です。計算による再解釈であり、古典的な説明を完全に置き換えたわけではありませんが、「ルイス酸=LUMOを下げる」を唯一の理由として覚えない方がよいでしょう。

ルイス酸や触媒を、分子の形に左右(キラリティー)のあるものにすると、生成物の一方のエナンチオマーだけを多くつくる不斉ディールス・アルダー反応になります。2000年にMacMillanらは、金属を含まない有機分子(キラルなイミダゾリジノン)を触媒にして、α,β-不飽和アルデヒドをイミニウムイオンに変えてLUMOを下げる方法を報告しました35。シクロペンタジエンとシンナムアルデヒドの反応では、収率99%、エキソ : エンド=1.3 : 1で、エキソ体を93% eeで得ています。触媒を使えば必ずエンド体が選ばれるわけではないことも、この例から分かります。

理解度チェック

Q1. 1,3-ブタジエンは室温でほとんどがs-trans形なのに、ディールス・アルダー反応が進むのはなぜですか。一方、ほとんど反応しないのはどんなジエンですか。

A1. s-trans形とゴーシュ形(s-cis側の形)を隔てる山は約27 kJ/molと低く、室温でも2つの形はすばやく入れ替わっているので、反応できる形の分子が次々に補充されるからです。一方、環に組み込まれてs-trans形に固定されたジエン(異環ジエン)はふつうの付加体を与えず、(Z)-1,3-ペンタジエンのようにs-cis形になると内側のメチル基が反対側の末端の水素とぶつかるジエンは極めて反応しにくくなります。

Q2. ジエノフィルに電子求引基が付くと反応が速くなる理由を、フロンティア軌道の言葉で説明してください。

A2. ふつうのディールス・アルダー反応(順電子要請型)では、ジエンのHOMOとジエノフィルのLUMOの相互作用が主に効きます。電子求引基はジエノフィルのLUMOを下げるので、ジエンのHOMOとのエネルギー差が小さくなり、相互作用が強くなるからです。

Q3. シクロペンタジエンと無水マレイン酸の付加体には、立体中心が4つあるのに立体異性体が2つしかないのはなぜですか。

A3. 2つの橋頭炭素の立体は、CH2の橋が環の片面をまたぐことで決まってしまい、無水物環が付く2つの炭素の立体は、cisのジエノフィルからの立体特異的な反応なのでcisに決まるからです。残るのは、無水物環がCH2の橋と同じ側を向くか(エキソ体)、反対側を向くか(エンド体)の違いだけです。

Q4. 室温では主にエンド体ができるのに、約200 °Cに加熱するとエキソ体の割合が増えるのはなぜですか。

A4. エンド体へ向かう遷移状態の方がエネルギーが低いので、逆反応が起こらない室温では、速くできるエンド体が主になります(速度支配)。高温では逆ディールス・アルダー反応などによって生成物どうしが行き来できるようになるので、より安定なエキソ体が増えます(熱力学支配)。ただしエキソ体の方が安定といっても差は小さく、平衡でもおよそ57 : 43です。

Q5. 「エンド体ができるのは二次軌道相互作用のためである」という説明の、どこに注意が必要ですか。

A5. 二次軌道相互作用は定番の説明で、軌道の重なり自体は計算でも見いだされていますが、それが選択性の主な原因かどうかは議論が続いています。ひずみや静電的な相互作用で説明する研究もあります。また、単純な組み合わせでは、エンド体とエキソ体が同程度できるか、エキソ体の方が多くなることさえあるので(ブタジエン+アクリロニトリルでは37 : 63)、エンド則は常に強く効く規則ではありません。

Q6. 2-メトキシ-1,3-ブタジエンとアクリル酸メチルの反応では、主にどちらの位置関係の生成物ができますか。理由も説明してください。

A6. 2つの置換基が1,4の関係にある「パラ」体です。ジエンのHOMOの係数は、メトキシ基の隣の末端C1で大きく、アクリル酸メチルのLUMOの係数はβ炭素で大きいので、C1とβ炭素が結合する向きが選ばれます。その結果、メトキシ基が付いたC2とエステルが付いたα炭素は、環の上で向かい合う位置に来ます。

ディールス・アルダー反応の選択性は、ジエンがs-cis形をとれるか、遷移状態で2つの分子がどの向きで重なるか、どの原子どうしが結合するかという、遷移状態の形の問題にまとめられます。定番の説明(エンド則の二次軌道相互作用、LUMOの低下によるルイス酸の加速)は多くの反応をうまく整理しますが、その背後の原因については今も研究が続いています。ここでは扱わなかった、1つの分子の中でジエンとジエノフィルが反応する分子内ディールス・アルダー反応や、C=OやC=Nを含むヘテロディールス・アルダー反応も、同じ考え方の上に成り立っています。

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