先にお断りしておくと、今回のテーマは今までの記事の中でもかなり複雑な部類に入ります。橋・橋頭炭素・上つき数字といった見慣れない要素が一度にいくつも登場するため、今回はいつもより長めの解説になります。急いで全部を覚えようとせず、出てくる化合物を1つずつ、実際に手を動かして番号を振りながら読み進めてください。
以前の主鎖の選び方のルールの記事では、鎖状化合物の主鎖(親構造)の選び方を扱いました。環状化合物でも同じように「どこを基準に名前を組み立てるか」を決める必要がありますが、環には鎖のような「端」がないぶん、番号の振り方の考え方がまた大きく変わります。
環状の炭化水素は、同じ炭素数を持つ鎖状のアルカン名の前にcyclo-を付けて命名します。炭素6個の環ならcyclohexane(シクロヘキサン)、炭素5個の環ならcyclopentane(シクロペンタン)です。
環には鎖のような明確な「端」がないため、位置番号の振り方には鎖状化合物とは違うルールが必要になります。まずは一番シンプルなケースから確認しましょう。
置換基が1つだけの場合、位置番号は省略できます。置換基がどこに付いていても、環を数え始める位置(1番)はその置換基が付いた炭素に決まるからです1。
bromocyclohexaneでよい)。置換基が2個以上になると、位置番号が必要になります。基本的な考え方は鎖状化合物の場合と同じで、①置換基全体の位置番号の組ができるだけ小さくなるように番号を振り、②それで決まらないときに、アルファベット順で先にくる置換基に小さい番号を与えます。
1-ethyl-3-methylcyclohexane。位置番号の組は、ethyl側から数えてもmethyl側から数えても{1,3}で同じ。そこでアルファベット順で先にくるethylの付いた炭素をC1にし、methylがC3になる(C5になる向きより小さい)方向へ番号を振る。環状化合物の位置番号のルールは、鎖状化合物の場合とほぼ同じ発想です。「まず位置番号の組を最小に→それで決まらなければアルファベット順」という優先順位は共通しています。たとえば、隣り合う2つの炭素にメチル基があり、そこから炭素1個をはさんだ炭素にエチル基があるシクロヘキサンでは、位置番号の組が最小になる{1,2,4}の番号の振り方を選ぶので、名前は4-ethyl-1,2-dimethylcyclohexaneとなり、ethylがC1になるとは限りません。
なお、置換基のないcyclohexeneのように二重結合が1つだけの環では、二重結合の位置番号も省略します1。この記事ではここから先、炭素骨格の話に絞って進めます。
Q1. シクロヘキサンに置換基が1個だけ付いている場合、なぜ位置番号を書く必要がないのですか?
A1. 環のどこを1番目の炭素にするかは、置換基が付いている炭素に自動的に決まるからです。置換基が1個しかなければ、その炭素以外に1番になりうる候補がないため、番号を明示する必要がありません。
Q2. 1-ethyl-3-methylcyclohexaneで、methyl基の方をC1にしなかったのはなぜですか?
A2. どちらの置換基をC1にしても位置番号の組は{1,3}で同じなので、アルファベット順で決めます。ethyl(e)の方がmethyl(m)より先にくるため、ethylの付いた炭素がC1になります。
2個以上の環が2個以上の原子を共有して橋かけ状につながった(飽和の)環状炭化水素は、bicyclo-(二環系)やtricyclo-(三環系)という接頭語を使って命名します。ここから先が、今回の記事で一番複雑になる部分です。
まず、この先ずっと使うことになる2つの用語を定義しておきます1。
普通の鎖状の炭素は隣の炭素と2本の結合でつながっているだけですが、橋頭炭素は3方向(あるいはそれ以上)に枝分かれしている点が特徴です。この「3方向に伸びている炭素」を見つけることが、ビシクロ・トリシクロを読み解く最初の一歩になります。
二環系の炭化水素は、次のように命名します2,3。
bicyclo-を付ける。番号の振り方は次の手順です。
ノルボルナン(bicyclo[2.2.1]heptane、C7H12)で実際に確認してみましょう。
bicyclo[2.2.1]heptane)。オレンジの点が2個の橋頭炭素(C1・C4)。C1→C2→C3→C4が1本目の橋(2個)、C4→C5→C6→C1が2本目の橋(2個)、C1とC4を直接つなぐC7が3本目の橋(1個、主橋)。この分子には7個の炭素と3本の橋(2個・2個・1個の炭素を含む橋)があるので、bicyclo[2.2.1]heptaneという名前になります。橋頭であるC1・C4は、どちらも3方向(2本の橋+主橋)に枝分かれしていることを図3で確認してください。
なお「ノルボルナン」はこの化合物の慣用名で、IUPAC優先名としてはbicyclo[2.2.1]heptaneを使います。
環が3個になるとtricyclo-を使います。考え方は、まず二環系と同じ手順で「主環+主橋」の部分(主橋頭・主環・主橋)を決めて番号を振り、そこに含まれない3本目の橋(副橋)を追加で表記する、という2段階です。
副橋の炭素数はそれまでと同じように角かっこの中に続けて書きますが、副橋は主環などの"途中"から生えているため、それだけでは位置が定まりません。そこで、副橋が、すでに番号の付いたどの原子とどの原子の間(多くは主環の上)に架かっているかを、上つき数字で示します3。
アダマンタン(tricyclo[3.3.1.13,7]decane、C10H16)で確認してみましょう。
tricyclo[3.3.1.13,7]decane)。オレンジの点が4個の橋頭炭素(C1・C3・C5・C7)。C1-C5間に3個の橋(C2,C3,C4)と3個の橋(C6,C7,C8)、1個の主橋(C9)があり、ここまででbicyclo[3.3.1]nonaneの骨格になる。残るC10が、C3とC7を結ぶ1個の副橋。手順を整理すると次のようになります。
bicyclo[3.3.1]nonaneの骨格を作り、番号を振る。3,7で示す。合計10個の炭素すべてに番号が振られ、tricyclo[3.3.1.13,7]decaneという名前になります。橋頭が4個(C1・C3・C5・C7)あることが、図4からも確認できます。
「アダマンタン」も慣用名ですが、こちらはノルボルナンと違い、一般名としてもIUPAC優先名としてもそのまま使ってよいとされている数少ない例です。同じように、8個の頂点を持つ立方体状の骨格を持つキュバン(pentacyclo[4.2.0.02,5.03,8.04,7]octane)も、慣用名のまま優先名として使えます。一方、かつて使われていたプリズマンという慣用名は現在推奨されておらず、tetracyclo[2.2.0.02,6.03,5]hexaneという組織名を使います。
tricyclo以上になると、「どの2個の橋頭を主橋頭にするか」「どの橋を主橋にするか」の候補が複数残ることがよくあります。そのようなときは、まず主環をできるだけ大きく、次に主橋をできるだけ大きく取ります。それでも決まらないときは、次の優先順位で1つに絞り込みます(先の基準で決まらないときだけ、次の基準に進みます)3。
1番目の基準だけで、具体例を確認してみましょう。
| 候補 | 名前 | 主環の分け方 | 採用 |
|---|---|---|---|
| 候補A | tricyclo[4.3.1.12,5]undecane | 4個と3個(差1) | ◯ |
| 候補B | tricyclo[5.2.1.12,6]undecane | 5個と2個(差3) | × |
候補Bも文法的には作れてしまう名前ですが、主環の分け方が4個・3個の候補Aより不均等(5個・2個)なため、採用されません。同じ分子に複数の正しそうな名前が作れてしまうように見えても、実際に優先されるのは常に1つだけ、という点がこの分野の紛らわしさの正体です。
橋頭炭素にはもう1つ、命名法とは別の面白い制約があります。小さな二環系では、橋頭炭素の上の二重結合は安定には存在できません(Bredt則)4。橋頭炭素では、二重結合をつくるp軌道が隣の炭素のp軌道と平行に並べず、π結合がうまく作れないのが理由です。環が大きくなる(橋の炭素数の合計がある程度以上になる)と、この制約は緩和されます。なお2024年には、こうした二重結合をもつ分子(アンチ-Bredtオレフィン)を短寿命の中間体として発生させ、別の分子と反応させて捕まえる方法が報告されています5。
Q1. 「橋頭」とはどのような原子のことですか?
A1. 環系の中で、水素を除く3個以上の骨格原子と結合している原子のことです。ノルボルナンならC1・C4、アダマンタンならC1・C3・C5・C7がこれにあたります。
Q2. bicyclo[2.2.1]heptaneの「2.2.1」は何を表していますか?
A2. 2個の橋頭を結ぶ3本の橋それぞれに含まれる炭素数(橋頭自身は数えない)を、大きい順に並べたものです。
Q3. アダマンタンの名前に出てくる上つき数字「3,7」は何を意味していますか?
A3. 主橋頭同士(C1・C5)を結ぶ3個の橋のうち、2本の"真ん中"の炭素であるC3とC7の間に、1個の副橋が架かっていることを示しています。
橋のように複数の原子を共有するのではなく、たった1個の原子だけを2つの環が共有している化合物をスピロ化合物と呼びます。共有されているその1個の原子を「スピロ原子」と呼びます6。
命名はspiro-という接頭語を使いますが、番号の振り方がbicyclo系とは逆になる点に注意してください。
spiro[4.5]decane(C10H18)。オレンジの点がスピロ原子(C5)。番号は小さい方の環(5員環)からスタートし、スピロ原子を通って大きい方の環(6員環)を回る。bicyclo系は「一番長い橋から」番号を振りますが、spiro系は逆に「小さい方の環から」番号を振ります。角かっこの中の数字も、bicyclo系は大きい順、spiro系は小さい順に並べる、という違いがあります。
ここまでは環が2つとも単環(それ自体は橋や副橋を持たない、ただの環)の場合でした。では、2つの同じ環系がスピロ結合したときは、どう命名するのでしょうか。ここで、もう少し正確に整理しておきます。実は、スピロ結合する2つの成分の組み合わせによって、名前の作り方が3パターンに分かれます。
spiro[4.5]decaneのように、通常の角かっこ表記だけで十分です。2つの環が同じ大きさ(たとえばシクロペンタン同士)であっても、特別な呼び方は必要ありません。bicyclo-・tricyclo-などの名前を持つ環系や、indeneのような縮合環系)同士:spirobiという接頭語を使います。2番目のパターンを、ノルボルナン2個がスピロ結合した2,2′-spirobi[bicyclo[2.2.1]heptane]で見てみましょう。
2,2′-spirobi[bicyclo[2.2.1]heptane]。中央のオレンジの点がスピロ原子。左右それぞれのノルボルナン骨格は、もとのbicyclo[2.2.1]heptaneの番号付け(図3参照)をそのまま使い、片方だけにプライム(′)を付けて区別する。この名前の作り方のポイントは、それぞれの多環系がすでに持っている番号付けをそのまま使うことです。ノルボルナン単体の番号付け(図3のC1〜C7)を両方の環に適用し、区別のために片方の番号にだけダッシュ(プライム、′)を付けます。スピロ原子はどちらの環でもC2にあたる位置なので、「2,2′」がスピロ原子の位置を表す部分になります。
3番目のパターン(異なる成分同士)は、spiro[cyclohexane-1,1′-indene]のように、2つの成分名をそのまま角かっこの中に書き、スピロ原子の位置番号をその間に挟みます。
spiro[cyclohexane-1,1′-indene]。左がindene(ベンゼン環が縮環した5員環に二重結合を1つ持つ化合物)、右がcyclohexane。オレンジの点がスピロ原子で、どちらの成分でもC1にあたる。このように、芳香環を含む成分があるスピロ化合物も、基本的には同じ枠組みで命名できます。
この記事で扱ったのは炭素だけの骨格(炭化水素)です。酸素や窒素などのヘテロ原子を環の中に含むスピロ化合物・多環式化合物は、骨格代置命名法(oxa-やaza-などの接頭語を使う、いわゆる「ア」命名法)を組み合わせた、さらに込み入った命名になります。これは今回の範囲には含めず、別の記事で改めて扱う予定です。
Q1. spiro[4.5]decaneで、番号がbicyclo系の場合と違い、小さい方の環(5員環)から始まるのはなぜですか?
A1. スピロ系の番号付けのルールが、bicyclo系とは逆に「小さい方の環から始めて、スピロ原子を経由して大きい方の環を回る」と定められているためです。
Q2. spirobiという接頭語は、どのような場合に使いますか?
A2. スピロ結合する2つの成分が、同一の多環系(bicyclo-・tricyclo-などの名前を持つ環系や、indeneのような縮合環系)である場合に使います。単なる単環同士の場合は、通常の角かっこ表記(spiro[4.5]decaneのような形)で十分です。
橋頭炭素・上つき数字・プライムと、見慣れない表記が一気に増える分野ですが、どれも「橋(またはスピロ原子)が主環のどこにつながっているか」を数字で示しているだけ、という点は共通しています。図3〜7の解説文を隠した状態で、もう一度自分の手で番号を振ったり名前を組み立てたりできるか試してみると、理解の抜けている部分が見つかりやすいはずです。