命名法

慣用名と系統名(IUPAC名)の違い(慣用名が今も使われる理由・容認の条件・具体例)

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キーワード: IUPAC命名法, 慣用名, 官能性親化合物, 保持名

多くの有機化合物には、系統名(IUPAC名)と慣用名の2つの名前が存在します。ethanoic acidという系統名があるのに、なぜ今もacetic acid(酢酸)という名前が使われ続けているのでしょうか。

この問いへの答えは、単に「昔からの習慣だから」ではありません。IUPACの命名規則そのものが、どの慣用名を公式に残すか、そしてその慣用名を優先IUPAC名(PIN, Preferred IUPAC Name)として扱うかどうかを、化合物ごとに個別に定めているのです。この記事では、カルボン酸・芳香族化合物・位置表記・カルボニル化合物という4つの切り口から、その線引きの実際を見ていきます。

なお、フラン・ピリジン・インドールのような複素環の慣用名は、命名法の枠組み自体がかなり異なるため、この記事では扱いません。これらはヘテロ環の慣用名の記事で整理しています。

1. IUPACの立場:慣用名は「非公式」ではない

まず押さえておきたいのは、私たちが「慣用名」「トリビアル名」と呼んでいるもののかなりの部分が、IUPACの規則の中で正式に位置づけられた保持名(retained name)だということです。外部の俗称ではなく、IUPAC自身が「この名前は残す」と決めた名前なのです。

保持名の中でも特別な扱いを受けるのが、官能性親化合物(functional parent compound)と呼ばれる一群です。phenol(フェノール)やacetic acid(酢酸)がその代表例で、これらは単なる「使ってもよい慣用名」ではなく、優先IUPAC名そのものとして扱われます。系統名であるbenzenolやethanoic acidは、あくまで一般命名法での代替候補という位置づけです。

一方で、同じ「保持された伝統的な名前」でも、系統名の方がPINになるケースもあります。もっとも身近な例がacetone(アセトン)で、これは一般命名法では使ってよい名前として保持されていますが、PINは系統名のpropan-2-oneです。

表1. 慣用名がPINになる例とならない例
化合物慣用名系統名PIN
酢酸acetic acidethanoic acid慣用名
フェノールphenolbenzenol慣用名
アセトンacetonepropan-2-one系統名
スチレンstyreneethenylbenzene系統名

「この慣用名は残っているか」だけでなく、「残っているとして、それはPINなのか、それとも一般命名法だけで使える代替名なのか」という2段階の問いがある、という点がこの分野を理解する鍵になります。次節から、この線引きが実際の化合物でどう現れるかを見ていきます。

2. カルボン酸の慣用名:ギ酸・酢酸・安息香酸

モノカルボン酸(カルボキシ基が1つのもの)の慣用名のうち、PINとして残っているのはformic acid(ギ酸)・acetic acid(酢酸)・benzoic acid(安息香酸)の3つだけです。系統名のmethanoic acid・ethanoic acidは一般命名法でのみ使用できます。

ギ酸の名前は、蟻を意味するラテン語formicaに由来します。蟻を蒸留して得られたことが名前の起源とされる、化学史でもとりわけ古い慣用名の1つです。

OOH
図1. ギ酸(formic acid、CH2O2)。系統名methanoic acidは一般命名法でのみ使用可。

酢酸の名前は、酢を意味するラテン語acetumに由来します。ギ酸と同様に古い名前ですが、置換のされやすさという点では両者に違いがあります。酢酸と安息香酸は多くの置換基についてそれぞれの名前のまま系統的に組み立てられるのに対し、ギ酸は置換できる範囲がより限定されています。

OHO
図2. 酢酸(acetic acid、C2H4O2)。系統名ethanoic acidは一般命名法でのみ使用可。

安息香酸は、安息香樹脂(ベンゾイン樹脂)から単離されたことに由来する名前です。系統的には、環に付いたカルボキシ基を表す接尾語-carboxylic acidを使ってbenzenecarboxylic acid(ベンゼンカルボン酸)と組み立てられますが、PINは慣用名のbenzoic acidです。

OOH
図3. 安息香酸(benzoic acid、C7H6O2)。系統的に組み立てた名前はbenzenecarboxylic acidだが、PINはbenzoic acid。

この「酸が保持されているかどうか」は、対応するアルデヒドの命名にもそのまま引き継がれます。IUPACの規則では、保持された酸名の語尾を「アルデヒド」に変えることでアルデヒドの慣用名が作られ、置換のしやすさも元の酸からそのまま受け継がれる仕組みになっています。benzoic acidが置換可能なPINである以上、対応するbenzaldehyde(ベンズアルデヒド)も置換可能なPINになり、たとえば3,4-ジメトキシベンズアルデヒドのような置換体でもbenzaldehydeを親構造とした名前がそのままPINです。同じ理屈で、置換範囲が限られるformic acid由来のformaldehyde(ホルムアルデヒド)も置換の余地が限定されます。なお、対応する酸に保持名がない環状アルデヒドではこの仕組みが働かず、cyclohexanecarbaldehydeのように系統的な-carbaldehyde接尾語がそのままPINになります(アセトアルデヒドについては5節で改めて扱います)。

理解度チェック

Q1. 酢酸のPINが、系統名のethanoic acidではなく慣用名のacetic acidである理由は?

A1. acetic acidがIUPACの規則で正式に保持されたPINだからです。系統名のethanoic acidは、一般命名法での代替候補という位置づけにとどまります。

Q2. 安息香酸を系統的に組み立てると何という名前になり、PINはどちらですか?

A2. 環に付いたカルボキシ基を表す接尾語-carboxylic acidを使うとbenzenecarboxylic acidになりますが、PINは慣用名のbenzoic acidです。

Q3. ベンズアルデヒドがPINなのはなぜですか?

A3. アルデヒドの慣用名は、対応するカルボン酸の保持名から派生し、置換のしやすさもそのまま引き継ぐためです。benzoic acidが置換可能なPINなので、対応するbenzaldehydeも置換可能なPINになります。

3. 芳香族の慣用名:トルエン・フェノール・アニリン

ベンゼン環に1つだけ置換基が付いた化合物にも、よく知られた慣用名がいくつかあります。toluene(トルエン)・phenol(フェノール)・aniline(アニリン)はいずれも、無置換の状態であればそのままPINとして使えます。

図4. トルエン(toluene、C7H8)。無置換の状態でのみPIN。
OH
図5. フェノール(phenol、C6H6O)。無置換・置換のどちらでもPINになりうる(後述)。
NH2
図6. アニリン(aniline、C6H7N)。無置換・置換のどちらでもPINになりうる(後述)。

ここまでは3つとも同じ扱いに見えますが、置換基を1つ加えた瞬間に、トルエンとフェノール・アニリンの運命は分かれます。

官能性親化合物としての置換ルール

フェノールとアニリンが特別なのは、-OHや-NH2がその化合物の主要な特性基(principal characteristic group)そのものだという点です。IUPACはこのような保持名を「官能性親化合物」として扱い、主要な特性基より優先順位の低い置換基が付く限り、置換された状態でもその名前を親構造として使い続けることを認めています。

たとえば2,3,6-トリメチルフェノールは、系統的に組み立て直されることなくphenolを親構造としたまま命名され、それがそのままPINになります。アニリンも同様で、メチル基が1つ付いた化合物のPINは、慣用名のo-toluidine(オルト-トルイジン。現在は推奨されない名前)ではなく、anilineを親構造とした2-methylanilineです。

置換されるとどうなるか

一方トルエンの場合、メチル基は主要な特性基ではなく、ただの炭化水素側鎖です。そのためトルエンは官能性親化合物としての扱いを受けられず、PINとして認められるのは無置換の分子だけに限られます。置換基が1つでも増えた瞬間、名前はベンゼンを親構造とした系統名に組み直されます。

たとえば2-ニトロトルエンのPINは、2-nitrotolueneではなく1-methyl-2-nitrobenzeneです。メチル基は、もはや親構造の一部ではなく、ニトロ基と並ぶ単なる置換基の1つとして扱われます。

フェノール・アニリンとトルエンの違いをまとめると、「その慣用名が指し示す官能基が、化合物の主要な特性基かどうか」が分かれ目になっています。主要な特性基であれば置換されても親構造として生き残り(フェノール・アニリン)、そうでなければ無置換のときしか使えません(トルエン)。

なおo-toluidine(オルト-トルイジン)という名前は、現在のIUPAC勧告では推奨されていません。o-cresol(オルト-クレゾール)のように慣用の置換体名をまるごと使う言い方もありますが、PINにはなれません。

理解度チェック

Q1. フェノール・アニリンが、置換されてもPINとしての地位を保てるのはなぜですか?

A1. -OH・-NH2がその化合物の主要な特性基そのものであり、IUPACがこれらを「官能性親化合物」として扱っているためです。主要な特性基より優先順位の低い置換基が付く限り、その名前を親構造として使い続けられます。

Q2. トルエンに置換基が1つ付くと、PINはどう変わりますか?

A2. トルエンを親構造とした名前(2-nitrotolueneなど)ではなく、ベンゼンを親構造とした系統名(1-methyl-2-nitrobenzeneなど)に組み直されます。メチル基は主要な特性基ではないため、官能性親化合物としての扱いを受けられません。

4. 位置表記の違い:キシレンのo-/m-/p-

以前の主鎖の選び方のルールや環状化合物の命名の記事で見たように、IUPACの系統名では基本的に数字の位置番号(1,2-や1,3-など)が使われ、o-/m-/p-のような古い位置表記は一般命名法での名前にとどまります。キシレンもこの原則に従いますが、少し変わった扱いを受けています。

キシレンでは、xyleneという慣用名そのものがPINとして残っています。ただしPINは数字の位置番号を使った1,2-xylene・1,3-xylene・1,4-xyleneで、o-キシレン・m-キシレン・p-キシレンという表記は一般命名法での名前です。系統的に組み立てた1,2-ジメチルベンゼンなどは、PINにはなりません。

図7. o-キシレン。PINは1,2-xyleneで、o-の表記は一般命名法での名前。
図8. m-キシレン。PINは1,3-xyleneで、m-の表記は一般命名法での名前。
図9. p-キシレン。PINは1,4-xyleneで、p-の表記は一般命名法での名前。

ただし前節のトルエンと違い、キシレンにはさらに厳しい制約があります。トルエンは(PINにはなれないものの)一般命名法でなら限られた置換基による置換が許されていましたが、キシレンは一般命名法であっても、これ以上の置換が一切認められません。もう1つ置換基を加えたい場合は、o-キシレンのような呼び方をあきらめて、1,2-ジメチル-4-ニトロベンゼンのように完全に系統的な名前を組み立てる必要があります。

ここまでで、o-/m-/p-という同じ見た目の位置表記でも、キシレンでは「名前はPINとして残るが、PINでは数字の位置番号を使い、置換は一切不可」、トルイジンでは「現在の勧告では推奨されない名前」、クレゾールのような慣用の置換体名では「PINにはなれない」というように、化合物ごとに扱いが違うことが分かります。系統的な位置番号(1,2-など)はどの化合物にも常に使えるので、迷ったときはそちらが安全な選択です。

5. カルボニル化合物:アセトンとアセトアルデヒド

カルボニル化合物では、アルデヒドとケトンのあいだで慣用名の扱いが分かれるという、もう1つの興味深い非対称性があります。もっとも単純なアルデヒドであるformaldehyde(ホルムアルデヒド)・acetaldehyde(アセトアルデヒド)はどちらも慣用名のままPINとして残っているのに対し、もっとも単純なケトンであるacetone(アセトン)は、1節の表1で見た通り系統名のpropan-2-oneにPINの座を譲っています。

OアセトンOアセトアルデヒド
図10. 左:アセトン(acetone、C3H6O)。PINはpropan-2-one。右:アセトアルデヒド(acetaldehyde、C2H4O)。こちらはacetaldehyde自体がPIN。

同じ「カルボニル基を持つ、炭素数の少ない基本化合物」でありながら、アルデヒド側の慣用名は残り、ケトン側の慣用名は残らなかったわけです。これは、慣用名の保持・PIN化が「どれだけ古くから使われているか」や「官能基の種類」で一律に決まるのではなく、化合物ごと・規則ごとに個別に判断されていることを示す、分かりやすい例だと言えます。

6. 慣用名がほとんどになる分野:糖とアミノ酸

ここまで見てきたのは、あくまで有機化学の一般的な命名規則(Blue Book)の枠内で、慣用名が保持名・PINとして例外的に生き残っているケースでした。これに対し、糖(単糖)とアミノ酸の分野では、事情がまったく異なります。

グルコースやフルクトースといった単糖の名前、グリシンやアラニンといったアミノ酸の名前は、有機化学の置換命名法の「例外」ではなく、それぞれ専用に整備された命名体系のもとで扱われています。単糖の命名はIUPAC-IUBMBによる炭水化物命名法の勧告に、アミノ酸の命名は同じくIUPAC-IUBMBによるアミノ酸・ペプチド命名法の勧告に、それぞれ基づいています。糖やアミノ酸を系統名(置換命名法による名前)で呼ぶと非現実的なほど長く複雑になるため、この分野では慣用名を基準に据えた命名法そのものが標準になっているのです。

糖・アミノ酸の命名法は、それぞれが専用の記事を書けるほど独立した大きな分野です。この記事ではこれ以上踏み込まず、別の記事で改めて扱う予定です。

系統名と慣用名、どちらを使うべきかに絶対の正解はありませんが、論文や特許のように一意性が求められる場面では系統名(あるいはその化合物のPIN)を、実験室での日常的なやり取りでは定着した慣用名を、というのが実用上の目安になります。PubChemなどのデータベースでもIUPAC名を確認できますが、そこに載っている名前はソフトウェアで自動生成されたもので、PINとは限らない点に注意してください。

参考文献
  1. Favre, H. A.; Powell, W. H. Nomenclature of Organic Chemistry: Recommendations and Preferred Names 2013 [Online]; Royal Society of Chemistry: Cambridge, 2013; Rules P-12.3, P-22.1.3, P-62.2.1.1.1, P-65.1.1, P-66.6.1. https://iupac.qmul.ac.uk/BlueBook/P1.html.
  2. McNaught, A. D. Nomenclature of Carbohydrates (IUPAC Recommendations 1996). Pure Appl. Chem. [Online] 1996, 68 (10), 1919–2008. https://doi.org/10.1351/pac199668101919.
  3. IUPAC-IUB Joint Commission on Biochemical Nomenclature (JCBN). Nomenclature and Symbolism for Amino Acids and Peptides (Recommendations 1983). Pure Appl. Chem. [Online] 1984, 56 (5), 595–624. https://doi.org/10.1351/pac198456050595.