ブタンではアンチ形がゴーシュ形より安定で、シクロヘキサンの置換基はエクアトリアルを好みます。立体配座の記事で見たこれらの傾向は、どれも「かさ高いものどうしは離れたい」という立体的な理由で説明できました。
ところが、この常識と逆の形を好む分子があります。原因は原子の大きさではなく、電子の入った軌道と空の軌道がどう向き合っているかです。こうした効果をまとめて立体電子効果と呼びます1,2。この記事では、その考え方を3つの代表例(ゴーシュ効果・アノマー効果・Felkin–Anhモデル)で見ていきます。
IUPACの用語集は「立体電子的(stereoelectronic)」を、分子の性質、とくにエネルギーが原子核の相対的な配置に依存することを指す言葉として定義し、立体電子効果は原子の並び方によって軌道の向きのそろい方が変わることから生じる、と説明しています3。
言い換えると、同じ分子でも、形が変わると軌道どうしの重なり方が変わり、それがエネルギーや反応性の差になって現れるということです。「立体」は形、「電子」は軌道の相互作用を指しています。
フロンティア軌道論の記事で見たように、電子の詰まった軌道と空の軌道が重なると、電子2個が下がった方の軌道に入るので系は安定化します。安定化は、2つの軌道のエネルギー差が小さいほど、重なりが大きいほど大きくなります。
この相互作用は、2つの分子の間だけでなく、1つの分子の中の隣り合う結合どうしでも起こります。σ結合や非共有電子対の電子が、隣の結合の反結合性軌道(σ*)や空のp軌道へ少しだけ流れ込む現象を超共役といいます。
超共役で安定化するのは、「詰まった軌道(供与体)」と「空の軌道(受容体)」の組み合わせだけです。 詰まった軌道どうしが重なっても、下がる分より上がる分の方が大きく、差し引きは反発になります。
どの組み合わせが効くかには、おおまかな序列があります。供与体としては、結合に使われていない非共有電子対が、C–H結合やC–C結合の電子より高い位置にあって強く働きます。受容体としては、C–F・C–O・C–Clのように電気陰性度の大きい原子との結合のσ*が低い位置にあり、電子を受け取りやすいと説明されます(受容体としての強さには軌道の広がりなども効くので、この序列だけでは決まりません)。
軌道が重なるには、空間的に近いだけでは足りません。向きがずれるほど重なりは小さくなり、直交するとゼロになります。
σ*は、結合の途中に節を持ち、炭素側の大きなローブが相手の原子と反対の方向へ突き出した軌道でした。隣の炭素の結合がこのローブと平行になるのは、2本の結合が同じ平面にあって互いに逆を向くとき、つまりアンチペリプラナー(E1反応とE2反応の記事などでは反位配座とも呼ばれる配置)のときです4。
反対に、2本の結合が直交していると、重なりはゼロになります。この「平行なら重なる、直交なら重ならない」という性質が、以下の3つの例すべての土台になります。
超共役はあくまで分子のエネルギーを決める要因の1つです。立体配座の記事で触れたとおり、エタンがねじれ形を好む理由を超共役と占有軌道どうしの反発のどちらに求めるかは、今も議論が続いています。この記事で扱う例も同じで、「軌道で説明できる」ことと「軌道の効果が主因である」ことは別だと考えて読んでください。
立体配座の記事では、ブタンの2つのメチル基がゴーシュ(二面角60°)よりアンチ(180°)の位置を好むことを見ました。大きな基どうしは離れたがる、という直感どおりの結果です。
ところが、隣り合う原子に非共有電子対や電気陰性度の大きい置換基があると、この直感が外れ、ゴーシュの方が安定になることがあります。これをゴーシュ効果といいます。
ヒドラジン(H2N–NH2)の2つの窒素は、それぞれ非共有電子対を1組ずつ持っています。2組の電子対を点電荷のようにみなして、距離だけで反発を考えれば、最も離れるアンチ形が有利なはずです。
しかし実際のヒドラジンはゴーシュ形をとります。気体の電子線回折では、2組の非共有電子対のなす二面角はおよそ90°と求められています5。
図2でその理由を読み取れます。アンチ形では、一方の窒素の非共有電子対の向かい側(アンチペリプラナーの位置)にあるのは、もう一方の非共有電子対です。詰まった軌道どうしなので、ここからは安定化が生まれません。
ゴーシュ形では事情が変わります。それぞれの非共有電子対が、反対側の窒素のN–H結合とアンチペリプラナーに並ぶので、非共有電子対(詰まった軌道)からN–Hのσ*(空の軌道)へ電子が流れ込む超共役が2か所で働きます。1節の序列でいう「強い供与体」を「空の受容体」と組ませられる配座だから有利になる、というのが立体電子効果による説明です。
超共役による安定化は、電子が非局在化することによるエネルギーの低下です。ただし、非共有電子対どうしの反発も、軌道の重なりで考えると話が変わります。1-1節のとおり詰まった軌道どうしの重なりは反発を生み、1-2節のとおり重なりは向きがそろうほど大きく、直交すると小さくなります。この見方では、2組の非共有電子対が同じ平面に並ぶアンチ形で反発が大きく、二面角90°付近で小さくなります。実測の約90°は、超共役による安定化と、詰まった軌道どうしの反発の兼ね合いで決まると考えられ、どちらが主かには議論があります(1節の最後の注意と同じです)。
ゴーシュ効果という名前は、ウルフが1972年の総説で、隣り合う電子対や極性結合を持つ分子ではゴーシュの関係を最大にする構造が安定になりやすい、という経験則をまとめたことに由来します6。ウルフは、ヒドラジンや過酸化水素もこの傾向を示す分子として扱っています。
いまこの言葉が最もよく使われるのは、1,2-ジフルオロエタン(FCH2–CH2F)です。2つのフッ素は電気陰性度が大きく互いに反発しそうですが、ゴーシュ形の方が安定です。ゴーシュ形では、C–F結合の向かい側(アンチペリプラナー)に来るのがC–H結合になり、C–Hのσから低いC–Fのσ*への超共役が2か所で働く、と説明されます。
ただし、この効果はどのハロゲンでも勝つわけではありません。1,2-ジクロロエタン・1,2-ジブロモエタンでは、気体の状態ではアンチ形が優勢です。2021年の計算による解析では、超共役はどのハロゲンでもゴーシュを有利にする方向に働いており、大きなハロゲンでは原子どうしの立体的な反発(パウリ反発)がそれを上回るためにアンチへ戻る、と結論されています7。フッ素は小さいので、反発が超共役を打ち消すほど強くならない、というわけです。
1,2-ジハロエタンについての2021年の解析によれば、ゴーシュ効果は「立体的な反発」と「超共役」の綱引きの結果です。超共役はどのハロゲンでもゴーシュの側に働き、立体的な反発が小さい組み合わせ(フッ素)でだけ、ゴーシュが勝ちます。静電的な相互作用を重く見る解析もあり、原因の議論は続いています。
2つ目の例は、糖の化学から見つかった効果です。糖をこのサイトで本格的に扱うのは初めてなので、まず糖がどんな形をしているかから確認します。
エナンチオマーとジアステレオマーの記事で、フィッシャー投影で描いたD-グルコースを見ました。そこではグルコースを、一方の端にアルデヒド基(CHO)を持つ鎖状の分子として描いていました。
しかし水に溶けたグルコースのほとんどは、この鎖状の形ではありません。同じ分子の中にあるC5のOH基が、C1のアルデヒド基に付加して六員環のヘミアセタールを作るからです。環は炭素5個と酸素1個からなり、この環の形の糖を、酸素を1つ含む六員環(ピラン)にちなんでピラノースと呼びます。
CH2OHと反対側(下)にあるものがα、同じ側(上)にあるものがβ。図3の右の描き方はハース投影と呼ばれ、糖の環を表すときの標準的な書き方です。環をやや上から、ほぼ真横に近い角度で見た形に描き、置換基は環の上か下かだけを示します。フィッシャー投影で右側にあったOH基は、ハース投影では環の下側に来ます。
ここで大事なのは、C1が新しい立体中心になることです。平らなアルデヒド基には表と裏があり、OH基の酸素がどちらの面から付加したかで、C1のOHの向きが違う2種類の環ができます。
このように、C1(ケトースならC2)の立体配置だけが異なるジアステレオマーをアノマーと呼び、C1をアノマー炭素と呼びます8。D-グルコピラノースでは、C1のOHが環の上でC5のCH2OHと反対側にあるものをα、同じ側にあるものをβと呼び分けます。
2つのアノマーは、水中で環が開いたり閉じたりするのを通じて互いに移り変わります。十分に時間がたつと平衡に達し、そのときの比はα : β=およそ36 : 64です9。
ピラノース環はシクロヘキサンと同じくいす形をとります。D-グルコピラノースの安定ないす形を描くと、次のようになります。
βはOH基4つとCH2OH基のすべてがエクアトリアルにあります。一方αでは、C1のOHだけがアキシアルに立ちます。違いはこの1か所だけです。
立体配座の記事で見たとおり、アキシアルの置換基は1,3-ジアキシアル相互作用を受けるので、エクアトリアルの方が有利なはずです。この立体的な理由だけならβが優勢になり、実際にβは多数派になっています。
ところが、アキシアルのOHを持つαが3分の1以上も残ります。シクロヘキサンの置換基の傾向から予想されるよりも、アノマー炭素の置換基はアキシアルを好むのです。これをアノマー効果といいます。
「アノマー効果があるので、αの方が安定」と覚えるのは誤りです。グルコースではβの方が多く存在します。アノマー効果は、立体的に予想されるエクアトリアルへの偏りを弱める向きに働く効果で、どちらが多数派になるかは、置換基の種類・溶媒・ほかの置換基の立体配置との兼ね合いで決まります。
この効果は1955年にエドワードが指摘し10、1958年にルミューとチューが「アノマー効果」と名付けました11。IUPACの用語集は、もともとはグリコピラノシル誘導体のC1に結合した極性基がアキシアルを好む熱力学的な傾向を指した言葉だ、と説明しています12。
アキシアルを好む傾向は、置換基の電気陰性度が大きいほど強くなり、溶媒の極性が高いほど弱まります13。たとえば糖の骨格を単純にした2-メトキシテトラヒドロピランでは、気体中ではメトキシ基がアキシアルの配座が優勢ですが、水中では2つの配座の差がほとんどなくなります。グルコースの平衡を測る水中ではこの効果が弱まることも、βが多数派になる一因です。
立体電子効果による説明は、ゴーシュ効果とほとんど同じ形をしています。図4の青いローブに注目してください。
環酸素には非共有電子対が2組あり、そのうち1組はおおむねアキシアルの方向を向いています(ここでは非共有電子対を2本の同じ形のローブとして描く、単純化した見方をとっています)。隣り合う炭素と酸素のアキシアル方向は、いす形では必ず互いに逆を向くので、C1–O結合がアキシアルにあるときだけ、環酸素の非共有電子対とC1–O結合のσ*がアンチペリプラナーに並びます。
このとき、非共有電子対(詰まった軌道)から、電気陰性度の大きい酸素との結合のσ*(低い空の軌道)へ超共役が働きます。C1–O結合がエクアトリアルにあると、その向かい側に来るのは環のC–C結合やC–O結合で、非共有電子対とはそろいません。
ヒドラジンのゴーシュ効果は「非共有電子対 → N–Hのσ*」、アノマー効果は「非共有電子対 → C–Oのσ*」。供与体と受容体の顔ぶれが違うだけで、同じ種類の相互作用です14。実際IUPACの用語集も、アノマー効果を、X–C–Y–C(X・Yは非共有電子対を持つヘテロ原子)という並びでC–Y結合まわりのゴーシュ配座が好まれる、より一般的な傾向の特別な場合として位置づけています12。
C1に付いたOH基やメトキシ基の酸素も非共有電子対を持つので、今度はその電子対から環のC1–O5結合のσ*への超共役が起こり、C1–O結合まわりの向きにも好みが生じます。環の外側の結合で起こるこちらは、エキソアノマー効果と呼ばれて区別されます。
アノマー効果の原因については、発見当初から別の説明もあります。初期の説明は、エクアトリアル体では環酸素側とC1の置換基側の双極子が同じ向きにそろって不利になる、という双極子の反発でした。その後も、超共役の寄与は小さく静電的な相互作用が主因だとする計算(2010年)や、ひとつの要因では説明できず、超共役の寄与はせいぜい副次的で、主に分子内の静電的な引力によるとする実験と計算の研究(2018年)が出されました15,16。一方、2021年の総説は、こうした反論を検討したうえで、超共役による見方が構造と反応性の関係をなおよく説明すると主張しています17。どの寄与が大きいかは、エネルギーをどう分けて数えるか(計算の手法)にも左右されます。超共役による説明は、この効果を理解し反応の設計に使うための見方として有用ですが、効果の大きさのすべてを担っているとは限りません。
ここまでの2つは、分子がどの配座を好むかという話でした。最後の例は、立体電子効果が反応の立体選択性を決める場面です。
α炭素が立体中心になっているアルデヒドやケトンに求核剤が付加すると、カルボニル炭素が新しい立体中心になります。カルボニル基の表と裏のどちらから攻撃するかで2種類のジアステレオマーができ、多くの場合その比は1 : 1になりません。隣の立体中心が新しい立体中心の向きを決めるこの現象を、1,2-不斉誘導といいます。
どちらのジアステレオマーが多くできるかを予測する経験則は、1952年のクラムまでさかのぼります18。クラムは、α炭素の置換基を大・中・小(L・M・S)に分け、カルボニル基がMとSの間に来る配座で、求核剤が立体障害の少ない側から近づくと考えました。
1968年、フェルキンらはこれを改めます19。クラムの配座ではカルボニル炭素の置換基RとLが重なり形になってしまう点を問題にし、できかけの結合も含めてねじれひずみの少ない(ねじれ形の)遷移状態を考えました。その結論が、最も大きな基Lをカルボニル基の面に対して垂直に置き、求核剤はLとアンチの方向から、Sの脇を通って近づくという配置です。
求核剤が真横ではなく斜めから近づくことは、フロンティア軌道論の記事で見たビュルギ・ダニッツ角(C=O結合に対して約107°)に沿っています20。酸素から離れる向きに傾いて入ってくるので、求核剤の経路はRの側、つまりα炭素の残り2つの置換基のうち一方のすぐ脇を通ります。
そこにSが来る配座(図5左)の方が、Mが来る配座(図5右)より立体的に有利です。こうして、左の配座から生じるジアステレオマーが主生成物になります。
このモデルに軌道の裏付けを与えたのが、アンとアイゼンシュタインの1977年の計算です21。彼らは2-クロロプロパナール(CH3CH(Cl)CHO)などを題材に、ヒドリドをカルボニル炭素から1.5 Åの位置に置き、攻撃の角度を最適化しながら(ビュルギ・ダニッツの研究に沿って遷移状態の形を仮定した)、そのエネルギーをα炭素の回転角ごとに比べました22。その結果、フェルキンの配置が最も有利で、求核剤は極性の大きい基(Cl)または最も大きい基とアンチの方向から、最も小さい基のある面に入ることが示されました。
アンとアイゼンシュタインの解釈はこうです。カルボニル化合物のLUMOはC=Oのπ*でした。α炭素のC–Cl結合がカルボニル基の面に対して垂直(二面角90°)になると、C–Clの低いσ*がπ*と平行に並び、両者が混ざって、元のπ*より低い空の軌道ができます。
空の軌道が低くなるほど、求核剤のHOMOとのエネルギー差が小さくなり、相互作用は強くなります。そして計算では、求核剤がこの低い軌道と最もよく重なるのは、C–Cl結合と反対の方向から入るときでした。1-2節の「平行なら重なる、直交なら重ならない」が、ここではσ*とπ*の間で起きていることになります。
Felkin–Anhモデルが指定しているのは、基質が最も安定な配座ではなく、遷移状態で有利な配座です。反応しやすい配座の割合は小さくても、そこを通る経路が低ければ、生成物はその配座から生じます。
α位にハロゲンやアルコキシ基のような電気陰性度の大きい置換基があるときに、大きさではなく電気陰性度でLの位置を決める使い方を、とくに極性Felkin–Anhモデルと呼ぶことがあります。
Felkin–Anhモデルは広く使われていますが、万能ではありません。2つの面への攻撃のエネルギー差は多くの場合1 kcal/mol(約4 kJ/mol)未満と小さく、立体障害・ねじれひずみ・静電相互作用・金属イオンへのキレート配位・溶媒など多くの要因が同時に効いています22。実際、α位にヘテロ原子を持つアルデヒドへのホウ素エノラートの付加を調べた2006年の計算では、C–X結合をカルボニル基とほぼ反対向きにそろえた別のモデル(コーンフォースモデル)の遷移状態の方が、フッ素・メトキシ基・塩素のような電気陰性度の大きい置換基では有利で、極性Felkin–Anhモデルの根拠である求核剤からσ*(C–X)への相互作用はほとんど効いていない、と報告されています23。どのモデルが当てはまるかは、基質と求核剤の組み合わせごとに確かめる必要があります。
立体電子効果という名前こそ出していませんでしたが、このサイトのほかの記事にも同じ考え方が何度も登場しています。供与体と受容体、そしてそれらが重なるために必要な配置を並べると、次のようになります。
| 現象 | 詰まった軌道 | 空の軌道 | 必要な配置 |
|---|---|---|---|
| エタンのねじれ形 | σ(C–H) | σ*(C–H) | アンチペリプラナー |
| 1,2-ジフルオロエタンのゴーシュ効果 | σ(C–H) | σ*(C–F) | アンチペリプラナー |
| ヒドラジンのゴーシュ形 | 非共有電子対(N) | σ*(N–H) | アンチペリプラナー |
| アノマー効果 | 非共有電子対(環のO) | σ*(C1–O) | アンチペリプラナー |
| カルボカチオンの安定化 | σ(C–H、C–C) | 空のp軌道 | 結合とp軌道が平行 |
| E2脱離 | σ(C–H) | σ*(C–脱離基) | アンチペリプラナー |
| SN2反応の背面攻撃 | 求核剤のHOMO | σ*(C–脱離基) | 脱離基の反対側から180° |
| Felkin–Anhモデル | 求核剤のHOMO | π*(C=O)+σ*(C–X) | C–Xがカルボニル面に垂直 |
SN1反応の記事や位置選択性の記事で見たカルボカチオンの安定性の序列は、隣のC–H結合の電子が空のp軌道へ流れ込む超共役で説明されました。ここでも条件は、結合とp軌道が平行に並べることです。
E2脱離で抜ける水素と脱離基がふつうアンチペリプラナーの配置を必要とするのも、C–H結合の電子が脱離基とのσ*へ流れ込みながら反応が進むためです。立体配座の記事で見たメンチルクロリドの脱離が極端に遅かったのは、この配置をとるために不利な配座へ環反転しなければならなかったからでした。
フロンティア軌道論の記事で見たSN2反応の背面攻撃も同じです。求核剤は、C–脱離基結合のσ*の大きなローブが突き出している、脱離基の真裏から近づきます。
立体電子効果を見抜く手順は、どの例でも同じです。①電子を出せる詰まった軌道と、受け取れる空の軌道を探す ②その2つが平行に並ぶ形を考える ③その形を分子がとれるか(とりやすいか)を確かめる。
Q1. 超共役で分子が安定化するのは、どんな軌道の組み合わせのときですか。また、重なりが最も大きくなるのはどんな配置のときですか。
A1. 電子の詰まった軌道(σ結合や非共有電子対)と、空の軌道(σ*や空のp軌道)の組み合わせです。σ結合からσ*への超共役では、2本の結合がアンチペリプラナーに並んで、軌道が平行になるときに重なりが最も大きくなります。
Q2. ヒドラジンがアンチ形ではなくゴーシュ形をとる理由を、軌道の言葉で説明してください。
A2. ゴーシュ形では、それぞれの窒素の非共有電子対が反対側の窒素のN–H結合とアンチペリプラナーに並び、非共有電子対からN–Hのσ*への超共役が働くためです。アンチ形ではこの配置がとれないので超共役が弱く、軌道の重なりで考えると、2組の非共有電子対(詰まった軌道どうし)の反発もかえって大きくなります。2つの要因のどちらが主かには議論があります。
Q3. 「アノマー効果によってα-D-グルコピラノースの方が安定になる」という説明はどこが誤っていますか。
A3. 水中の平衡ではα : β=およそ36 : 64で、βの方が多く存在します。アノマー効果は、立体的に予想されるほどにはエクアトリアル(β)に偏らず、アノマー炭素の置換基がアキシアルを好む傾向のことです。多数派がどちらになるかは、置換基や溶媒によって変わります。
Q4. Felkin–Anhモデルで、α位の塩素がカルボニル基の面に垂直な位置に来るのはなぜですか。
A4. C–Cl結合が面に垂直になると、その低いσ*がカルボニル基のπ*と平行に並んで混ざり、求核剤を受け入れる空の軌道が低くなるためです。求核剤は、この軌道が大きく広がるC–Cl結合の反対側から、ビュルギ・ダニッツ角で近づきます。これが極性Felkin–Anhモデルの考え方で、求核剤や置換基によっては別のモデル(コーンフォースモデル)の方が合う場合もあります。
構造式は、どの原子がどの原子とつながっているかを教えてくれますが、軌道がどちらを向いているかまでは書き込まれていません。分子が直感に反する形を選んだり、反応が一方の面からだけ進んだりしたときは、立体的な大きさだけでなく、詰まった軌道と空の軌道がどこで向き合っているかを探してみてください。多くの場合、その答えは「平行に並べる形」の中にあります。