これまでの反応機構のテーマでは、SN1・SN2やE1・E2のように、分子の中で結合が組み替わる反応を扱ってきました。今回はその中でも、新しい炭素-炭素結合をゼロから作るという点で少し毛色の違う反応、グリニャール反応を扱います。
有機合成の骨格を組み立てる最も基本的な道具の1つであり、逆合成解析の記事でも、炭素求核剤の合成等価体として登場しました。今回は逆に、この試薬そのものの性質と反応機構に焦点を当てます。
グリニャール試薬(RMgX、Rは有機基、Xはハロゲン)は、ハロゲン化アルキルやハロゲン化アリールに、無水のエーテル系溶媒(ジエチルエーテルやTHF)中で金属マグネシウムを作用させると得られます。
1900年、グリニャール(Victor Grignard)がリヨンでPhilippe Barbierの指導のもと発見した反応です1。この功績により、1912年にPaul Sabatierと共同でノーベル化学賞を受賞しました2。
C-Mg結合は、炭素とマグネシウムの電気陰性度の差(おおよそ2.55対1.31)によって大きく分極しています。炭素側がδ⁻を帯び、カルボアニオンに近い性格を持つため、グリニャール試薬は強力な炭素求核剤として働きます。
強い求核剤であると同時に、強い塩基でもあります。水やアルコールのような酸性プロトンを持つ物質が混ざると、目的の相手より先にプロトンを引き抜いてR-Hになってしまい、試薬として失活します。調製・反応とも、無水条件・非プロトン性溶媒を徹底する必要があります。
基本的な反応機構は、極性を帯びたC-Mg結合がそのまま反応する求核付加です。カルボニル化合物を例に、電子の動きを2本の曲がった矢印で見てみます。
C-Mg結合の電子対がカルボニル炭素へ、C=Oのπ結合の電子対が酸素へ移動する。新しいC-C結合と、酸素上の負電荷(アルコキシドイオン)が同時に生じる。できたアルコキシドは、酸素にMgBrが結合したマグネシウム塩の形で存在しています。反応後に希酸などで後処理(ワークアップ)すると、酸素がプロトン化されて中性のアルコールになります。この付加が逆戻りしない理由や、水・アルコール・アミンなどほかの求核剤との違いは、アルデヒド・ケトンへの求核付加の記事で比べています。
H3O⁺で後処理(加水分解)すると、目的の第三級アルコールが得られる。ここで示したのは極性機構(イオン的な機構)で、大多数のグリニャール反応はこの経路で進みます。ただし、遷移金属の不純物を含む系や、還元されやすいケトンとの反応など、一部の組み合わせでは一電子移動(SET)機構(ラジカル的な経路)が関与することも提案されています3,4。どちらの経路をとるかはカルボニル化合物の還元されやすさによって変わる、とする計算化学の研究もあります4。
グリニャール試薬は、相手の求電子剤の種類によって生成物が変わります。
| 求電子剤 | 生成物 | 補足 |
|---|---|---|
ホルムアルデヒド HCHO | 第一級アルコール | |
アルデヒド R'CHO | 第二級アルコール | 例②(下記) |
ケトン R'2C=O | 第三級アルコール | 図1・図2 |
エステル・酸塩化物(2当量) | 第三級アルコール(同じRが2つ) | 例①(下記) |
| 二酸化炭素(ドライアイス) | カルボン酸 | |
ニトリル R-C≡N | ケトン | 金属イミン中間体を経る |
エステル・酸塩化物の行だけ、他と違って2当量のグリニャール試薬が必要な点に注意してください。1当量目が付加すると、脱離基(ORやCl)が抜けてケトンが生じ、そこにさらに2当量目が付加することで、初めて第三級アルコールまで進みます。1当量目で起きている「付加してから脱離基が抜ける」反応は、求核アシル置換反応の一例です。
例①:エステルへの2当量付加
酢酸エチルに2当量のPhMgBr(フェニルマグネシウムブロミド)を反応させる例です。1当量目の付加とOEt⁻の脱離でアセトフェノンが生じ、そこに2当量目が付加して、同じフェニル基を2つ持つ第三級アルコールになります。
OEt⁻が脱離しアセトフェノン(ケトン中間体)が生成。2当量目の付加と後処理を経て、1,1-ジフェニルエタノールが得られる。例②:逆合成解析の記事との対応
ベンズアルデヒドにCH3MgBrを反応させる、もっとも基本的なアルデヒドへの付加の例です。逆合成解析の記事の具体例①で、1-phenylethanolの合成等価体として同じ組み合わせが登場しています。あちらでは目的物から出発物質へ考えを遡りましたが、ここでは実際にフラスコの中で起こる反応として、同じ2つの分子を見ています。
CH3MgBrの反応。アルデヒドへの付加なので、生成物は第二級アルコール。グリニャール試薬以外にも、炭素求核剤として働く有機金属試薬はいくつかあります。
有機リチウム試薬(RLi)は、ハロゲン化アルキルとリチウム金属から、あるいはn-BuLiとのハロゲン-金属交換(n-BuLi + RX ⇌ RLi + n-BuX)によって調製されます。反応そのものはグリニャール試薬と同じ極性の求核付加で、カルボニル化合物への反応パターン(表1)もほぼ共通です。ただし塩基性・反応性がより高く、脱プロトン化などの副反応を起こしやすい点が異なります。
ギルマン試薬(有機銅酸リチウム、R2CuLi)は、有機リチウム試薬2当量とCuIから調製される、より穏やかな求核剤です5。グリニャール試薬・有機リチウム試薬がα,β-不飽和カルボニル化合物(エノン)に対して1,2-付加を優先するのに対し、ギルマン試薬は1,4-付加(共役付加)を優先するという、選択性の違いが特徴です。
RMgXはカルボニル炭素への1,2-付加、R2CuLiはβ炭素への1,4-付加を優先する。この違いはHSAB則(硬い・軟らかい酸塩基則)で説明されることが多く、「軟らかい」求核剤であるギルマン試薬は「軟らかい」求電子部位(エノンのβ炭素)を、「硬い」グリニャール試薬は「硬い」求電子部位(分極したカルボニル炭素)を好む、と理解されています。なお触媒量のCu(I)塩を加えると、グリニャール試薬自身も1,4-付加を起こすようになることが知られています6。この「硬い・軟らかい」を軌道の言葉に置き換える見方と、その限界についてはフロンティア軌道論の記事で扱っています。
もう1つ、比較として押さえておきたいのがフリーデル・クラフツ反応(AlCl3触媒)です。こちらは芳香環への求電子置換反応で、AlCl3はルイス酸(電子対を受け取る側の物質)として働き、酸塩化物やハロゲン化アルキルを活性化してアシリウムイオンなどの求電子種を生み出します。グリニャール反応では有機金属試薬の炭素そのものが求核剤でしたが、フリーデル・クラフツ反応では芳香環側が求核剤になり、金属ハロゲン化物は求電子剤を作るために使われる——役割が逆転している点に注目すると整理しやすくなります。
なお、グリニャール試薬などの有機金属試薬は、ニッケルなどの触媒を加えると、ハロゲン化アリールの炭素ともつながるようになります。触媒が2つの相手を順に受け取って結ぶこの反応は、クロスカップリングの記事で扱っています。
Q1. グリニャール試薬が水と激しく反応してしまうのはなぜですか?
A1. C-Mg結合の分極により、グリニャール試薬は強力な求核剤であると同時に強い塩基でもあるためです。水の酸性プロトンを、目的の求電子剤より先に引き抜いてしまい、R-Hになって試薬として失活します。
Q2. エステルにグリニャール試薬を反応させると、なぜ1当量では止まらないのですか?
A2. 1当量目が付加すると脱離基(ORなど)が抜けてケトンという新しい求電子剤が生じるため、通常はそこにさらに2当量目が付加し、同じR基を2つ持つ第三級アルコールまで反応が進みます。
Q3. ギルマン試薬がエノンに対して1,4-付加を起こしやすいのはなぜですか?
A3. HSAB則で説明されることが多く、ギルマン試薬は「軟らかい」求核剤であり、エノンの中でも「軟らかい」求電子部位であるアルケンのβ炭素(1,4位)を好んで攻撃するためです。
グリニャール反応は、有機合成の中でもっとも古くから使われている炭素-炭素結合形成反応の1つでありながら、今なお現役の基本反応です。今回扱った極性機構は、有機リチウム試薬など他の炭素求核剤の反応を理解する土台にもなります。