合成戦略

逆合成解析の基本的な考え方(切断・シントン・具体例など)

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キーワード: 逆合成解析, 切断, シントン, 官能基相互変換, 合成等価体, エノラート

これまでの記事では、「目の前の分子に、この試薬を加えたら何ができるか」という順方向の反応を扱ってきました。今回はその逆、「この分子を作るには、何と何を組み合わせればよいか」を考える逆合成解析(retrosynthetic analysis)を扱います。

合成戦略というテーマの、いちばん根っこにあたる考え方です。難しそうに聞こえますが、根本にあるのは「目的物から出発物質へと、頭の中で反応を巻き戻して考える」という、意外とシンプルな発想です。

1. 逆合成解析とは何か

逆合成解析は、Elias J. Coreyが1960年代に体系化し、後にノーベル化学賞(1990年)の対象にもなった考え方です。やっていることは単純で、「目的の分子(ターゲット)」を眺め、もっと単純で、手に入りやすい分子の組み合わせに分解できないかを考えていきます。

ここで重要なのが、矢印の向きです。通常の反応式で使う→は「実際にその方向に反応が進む」ことを表しますが、逆合成解析で使う⇒は、頭の中で考えを遡らせているだけで、実際の反応の向きではありません。⇒の右側にあるのは、まだ試していない「候補」にすぎない、という点を意識しておくと混乱しにくくなります。

パズルを後ろから解くようなものだと考えると分かりやすいかもしれません。完成形(ターゲット)から、直前の1手、その前の1手…とさかのぼっていくことで、最終的に「どこから組み立て始めればよいか」が見えてきます。

2. 切断・シントン・合成等価体

逆合成解析には、専用の道具立てがあります。

シントンはあくまで「こういう働きをする断片が欲しい」という設計図上の概念であり、そのままフラスコに入れられる試薬ではありません。逆合成解析の作業は、切断でシントンを見つけたら、必ずそれに対応する合成等価体(実在する試薬)まで探し当てて、初めて完成します。

表1. 代表的なシントンと合成等価体の対応
シントンの種類役割合成等価体(実際の試薬)
炭素求核剤 R⁻求核剤グリニャール試薬 RMgX、RLi
カルボニル基の隣(α炭素)のアニオン求核剤エノラート(ケトン・アルデヒド+塩基でその場で生成)
OHの付いた炭素のカチオン R2C(OH)⁺求電子剤アルデヒド・ケトン(カルボニル炭素がδ+)

表の1行目・3行目は次の章の例①、2行目・3行目は例②で、実際にどう使われるかを見ていきます。

3. 具体例①:二級アルコールの逆合成

ターゲットは、1-phenylethanol(PhCH(OH)CH3)という、ごく簡単な二級アルコールです。まず、OHがついた炭素に注目し、そこにつながるC-C結合を切断の候補として探します。

ここでは、OHがついた炭素と、隣のCH3基の間の結合を切断します。

OHO+CH3−
図1. 赤い印がついたC-C結合を切断すると、求電子的シントンPhCH(OH)⁺と、求核的シントンCH3⁻に分かれる。図では、求電子的シントンの位置に、その合成等価体であるベンズアルデヒドを描いている。

切ってできた2つのシントンのうち、求電子的シントンのPhCH(OH)⁺は、実在する試薬ではありません。しかし、ベンズアルデヒドのカルボニル炭素はδ+を帯びていて同じ役割を果たすので、ベンズアルデヒドがそのまま合成等価体になります。一方のCH3⁻は、実際には存在しない断片なので、合成等価体に変換する必要があります。CH3⁻に対応する合成等価体は、CH3MgBr(メチルマグネシウムブロミド)です。これは、1900年にVictor Grignardが報告した有機マグネシウム化合物(グリニャール試薬)の一つです。

これで、実際に使う試薬が決まりました。ベンズアルデヒドにグリニャール試薬を反応させ、水で後処理(プロトン化)すれば、目的の二級アルコールが得られます。

O+CH3MgBrH3O+OH
図2. 実際の合成の向き(→)。ベンズアルデヒドとグリニャール試薬を反応させ、水で後処理すると目的物ができる。

図1と図2は、同じ2つの分子を扱っていますが、矢印の向きと意味が逆であることに注目してください。図1(⇒)は「頭の中の分解」、図2(→)は「実際にフラスコの中で起こること」です。

4. 具体例②:β-ヒドロキシケトンの逆合成

次は、OHとカルボニル基が少し離れた位置にある分子、β-ヒドロキシケトンを見てみます。ターゲットは4-hydroxy-4-methylpentan-2-one(通称ジアセトンアルコール)です。

β-ヒドロキシケトンを見たら、OHがついた炭素(β炭素)と、その隣でカルボニル基に近い炭素(α炭素)の間の結合を切るのが定石です。これは1872年にCharles-Adolphe Wurtzが報告し、ロシアのAlexander Borodinも独立に見いだしたアルドール反応を逆にたどる、典型的な切断パターンです。

OHOO+O−
図3. α-β結合(赤い印)を切断すると、求電子的シントン(CH3)2C(OH)⁺と、求核的シントン(アセトンのα炭素のアニオン)に分かれる。図では、それぞれの位置に合成等価体であるアセトンとアセトンのエノラートを描いている。

この例のおもしろいところは、2つのシントンの合成等価体が、どちらも「アセトン」という同じ分子になる点です。片方のアセトンは塩基によってエノラート化され求核剤として働き、もう片方のアセトンはそのままの形(カルボニル基のδ+)で求電子剤として働きます。

O+ONaOH自己アルドール付加OHO
図4. 実際の合成の向き(→)。塩基性条件下でアセトン2分子が自己アルドール付加し、ジアセトンアルコールを与える(脱水はまだ起こっていない)。

例①では、CH3⁻に対応する試薬として、別にグリニャール試薬を用意する必要がありました。これとは対照的に、この例②では両方のシントンの合成等価体が、アセトンという1種類の試薬で済みます。これは、エノラートが塩基の存在下でその場(in situ)で作れる、扱いやすい求核剤であるためです。

5. 官能基相互変換(FGI)とのつながり

逆合成解析には、切断以外にもう1つ重要な操作があります。それが官能基相互変換(Functional Group Interconversion, FGI)です。

これは、結合を切るのではなく、ある官能基を、別の官能基に置き換えて考え直す操作です。たとえば、目的物にアルケンがある場合、そのままでは切断先が見えにくいことがあります。そこで「このアルケンは、アルコールを脱水すればできる」と読み替えれば、アルコールの逆合成という、見慣れた形に持ち込めます。

切断だけを考えて手が止まってしまったときは、目の前の官能基を、別の官能基から作れないかという視点(FGI)に切り替えてみると、道が開けることがあります。切断とFGIは、どちらか一方ではなく、行き来しながら使う道具です。

6. よくあるつまずきポイント

理解度チェック

Q1. 逆合成解析で使う「⇒」の矢印は、通常の反応式で使う「→」と何が違いますか?

A1. 「→」は実際に化学反応が進む方向(出発物質から生成物へ)を表すのに対し、「⇒」は目的物から出発物質の候補へと考えを遡らせる、頭の中の思考の方向を表す記号です。「⇒」の右側にあるのは、まだ試したことのない「候補」にすぎません。

Q2. 「シントン」と「合成等価体」の違いは何ですか?

A2. シントンは、切断によって生まれる仮想的な断片で、多くは実在しない電荷を帯びた構造(例:CH3⁻)です。合成等価体は、そのシントンと同じ役割を果たす、実際に存在し、購入・調製できる試薬(例:CH3MgBr)のことです。

Q3. 例②の逆合成で、求電子的シントンと求核的シントンの合成等価体が、どちらも「アセトン」になったのはなぜですか?

A3. 目的物のジアセトンアルコールが、アセトンの自己アルドール付加の生成物だからです。一方のアセトン分子が塩基によってエノラート化して求核剤としてはたらき、もう一方のアセトン分子が、そのままカルボニル基を持つ求電子剤としてはたらきます。

逆合成解析は、最初はぎこちなく感じても、多くの分子で練習していくうちに、目的物を見た瞬間に「ここが切れそうだ」という勘所が掴めるようになってきます。今回扱ったのは最も基本的な2パターンですが、官能基相互変換(FGI)と保護基を掘り下げた記事もあわせてご覧ください。

参考文献
  1. Corey, E. J. General Methods for the Construction of Complex Molecules. Pure Appl. Chem. [Online] 1967, 14 (1), 19–38. https://doi.org/10.1351/pac196714010019.
  2. Grignard, V. Sur quelques nouvelles combinaisons organométalliques du magnésium et leur application à des synthèses d'alcools et d'hydrocarbures. C. R. Hebd. Séances Acad. Sci. 1900, 130, 1322–1324.
  3. Wurtz, A. Sur un aldéhyde-alcool. C. R. Hebd. Séances Acad. Sci. 1872, 74, 1361.